2020/8/7
連日、35℃超えの
猛暑日が続いている。
夜も25℃越えの
熱帯夜続きで、
寝苦しいことこの上ない。
もっとも、
就寝中もほとんど
弱冷房にしてはいるが…。
この猛暑で、
スーパーに夕餉の買い出しに行くと、
日中よりも早朝の方が
駐車場が混んでいる。
誰もが、
真昼のうだるような暑さの中には
出て行きたくない…
というのが人情だろう。
自分も、
熱中症体質なので、必ずや、
ネック・クーラーを巻いて出るが、
炎天下の車に乗る時の
激烈な炎暑には
クラクラッときてしまう。
昨日の
ガブリエル・ビアンコの
演奏を聴いて、
久しぶりに、クラシックギターの
CDを何枚か聴いている。
来福時のコンサートで、
拙いながらも通訳のお手伝いを
させて頂いた
ポーランドのエドベシュさんの
全曲『ショパン』のアルバムは
ピアノで聴くよりも
軽やかでいい。
エドさんからは、
帰国されてからも、
新譜CDがリリースされた時には、
「過日は有難うございました」
という、
日本人みたいな丁寧なご挨拶と共に
音源の添付ファイルを
届けてくだすった。
とても、紳士的で
義理堅いお人柄が偲ばれた。
昨日のブランコは、
さすがに、フランス人らしく
赤茶のプレーントゥを履き
洒落者の感じをさりげなく
演出していた。
アップで観た
現代の名器スモールマンの
サイド(側板)は、
見事な“雲竜”のハカランダで、
現在では枯渇して
かなり以前から伐採も輸入も
禁止になっている貴重用材である。
名ギタリストの柴田杏里さんが、
来福された時に、打ち上げの席で
ワンポイント・レッスンをして頂き、
柴田さんのスモールマンをも
試奏させて頂いたが、
さすがに、いい音色がした。
もう、20年も前だったが、
当時で、200万くらいだったが、
今なら、1.5倍くらいに
なっているやもである。
もっとも、
ギターはヴァイオリンや
ピアノに比較したら、
ウン千万というものは
ほとんどない。
唯一、現存する
ストラディバリウスの
バロックギターは
さすがに、歴史的価値として
億はするかもしれないが…。
またしても、
イーストウッド主演・監督の
作品『ベイルライダー』
題名の意味が解らなかったが、
劇中に、牧師として登場する
イーストウッドに対して
悪党が「青白い顔で…」と
悪態つくシーンがあったので、
それで馬に乗ってるから
「ライダー」かしらんと思った。
ところが、
ウィキってみたら、
「Pale Rider」とは、
『ヨハネの黙示録』に出てくる
死を司る第四の騎士のこと、
とあった。
なるほど。
その意味であれば、
物語に沿っている。
字幕で「牧師さん」というのを
「preacher」と言っていたが、
調べてみたら、
「福音を説く者/説教師/
伝道者/牧師」とあった。
なんだか、名作の
『シェーン』にも似ていて、
最後のシーンでは、
悪党たちを倒し、山脈をバックに
忽然と去っていく牧師に向かって
ヒロインが叫ぶところでは、
思わず
「シェーン! カンバック!」
と言うのではとさえ
思もうほどだった(笑)。
そういう別バージョンの
エンディングがあったら、
ズッコケてしまって
さぞかし笑えるコントになりそうだ。
15歳の美少女が
オッサン牧師に
「愛してる。結婚したい」
と逆プロポーズするシーンには、
オヤジ“押し”の子が
ここにも居たか…と、
なんだか、ちっと嬉しかった(笑)。
先日、
「書」の手習いをしていて、
ふと…、
「あれ?
『祝』と『呪』と
正反対の字に、
どちらも『兄』が入ってる」
ということに気付いて、
気になって『兄』の語源を
漢和辞典で調べてみた。
暇な夏休みならではの
「教養」にもなる
「今日用」となった(笑)。
辞典に拠れば、
「兄」は≪会意文字≫で、
「口」は頭蓋骨を
下の形は「人」の崩し字だという。
「固まって強くなったもの」から
「小児が兄弟に生長したもの」
となったらしい。
「祝」の「示す偏」は
元々「神」の意味らしい。
そして、この「兄」の部分は、
人である「巫祝(みこ)/巫女」が
ひざまずいてる形を
現わしているという。
すなわち、
神の前に跪いて
神に感謝申し上げる
「祝詞(のりと)」を
奏上している姿が
「祝」の字義となる。
「呪」」の「兄」も
同様の巫女の姿で、
主にこちらは、
「人の世に禍(わざわい)が
降りるのを祈る」
つまり
「のろう/まじないをする」
ということのようだ。
元々は「祝」の省略体であり、
「祝」にも「のろう」という
意味があるそうだ。
へぇ〜! ってなもんだぁ〜(笑)。
ちなみに、
「神」の「申」は、
稲妻の形から出来たもので、
転じて、「雷神/天の神」
という意味になったという。
ヘェ〜(・Θ・)
⁂
先日、養老先生の
ラジオ番組を聴いていて
「現代にも呪詛が生きてるんです。
それが、証拠に、
ネットで誹謗されて、
自殺する人がいたり、
“いじめ”で「死ね!」と言われて
死んでしまう子がいるわけでしょ…」
という指摘には、
納得してしまった。
言葉は、
人を活かしもするが、
殺しもする…
ということを、
それを扱うプロの
カウンセラーとして
再認識させられた。
サイコセラピストは
「活人語」という
スキルを身につけていないと
いけないんだなぁ…。
(;;、)ヾ(^^ ) ヨシヨシ

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