「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2021/3/11
夢のような
リク坊との三日間も
あっという間に過ぎ去って、
今は、なんだか…
"孫ロス"のようで
ずいぶんと落ち込んでいる。
毛穴が開くほど
喜びすぎて、
全身の細胞が活性化して
"オン"状態になったので、
セロトニンやらが
いっぺんに放出されて…
今はポスト・フェステム・シンドローム
(祭りのあとの寂しさ)
に陥っている。
でも、会えてよかった。
ほんとに、よかった。
孫あり
遠方より来たる
われ嬉しからずや
・・・である(笑)。
そして、
リク坊を見つめる誰もが、
幸せな気分になり、
自ずと笑みがこぼれた。
まだ何もできない
赤子だが、
その「存在感」の大きさには
驚かされた。
まさに、
「Doing」以上の
「Being」の偉大さである。
三日目の朝は
その別れが辛かった。
じっと見つめる
リク坊の
澄んだ瞳を見たら、
思わずウルッときた。
亡き父が、
孫たちを引き上げる段になると、
車窓まで寄って来て、
必ずや
「また、来いよぉ…」
と哀願するように
声かけをしていたのを
まざまざと思い出した。
同じ市内の
近所に住んでたから
毎週末に来ていたにもかかわらず、
父は毎度、毎度、
「また、来いよぉ…」
と言っていた。
幼い子どもたちの耳にも
その優しいかけ声が
残っていたのか、
父への弔辞では
小1だったフミが
「おじいちゃん。
いつも、また来いよぉ…
と言ってくれてありがとう…」
と読んでいた。
ほんに、
リク坊との
しばしのお別れで
抱き上げて相対した時も、
「また、来いよぉ…」
としか、
言葉が出なかった。
乳児のフミが
初来福して、
京都に帰るという朝、
父は出勤を遅らせて
新幹線のホームまで
見送りに来てくれ、
その小さな手に
ジジからの「初めて」のお小遣い
(聖徳太子)を握らせてくれた。
なので、自分も、
その家庭文化を伝承して、
リク坊に「諭吉さん」を手渡したら、
ちっちゃな手のひらで
つかんでくれた。
「お母さんに
美味しいものや、
ご本を買ってもらいなよ…」
というジジに
リク坊はキョトンとしていた(笑)。
抱いてると
いつまでも未練が残り、
別れ難かったので、
彼を下ろしてバイバイした。
その視線を背に感じながら、
いつものように
出勤しようとしたが、
なんだか、切なくって、
胸がキューンとなって、
車をしばらく走らせると
涙がポロポロ流れた。
( ;∀;)
ちょうど、
通退勤の車内で
中村先生の仏教学のレクチャーで
「愛別離苦」という
四苦八苦の一つを
耳にしたばかりだった。
愛するものと
別れ離れる哀しみ…。
クルマが進めば進むほど、
リク坊から離れていくのが
恨めしかった。
よくぞ、
事故に遭わなかったものだ、
と後で安堵するほど、
学校につくまでの16q、
30分あまりの通勤路の記憶が
はっきりしなかった。
さながら
ASD(急性ストレス障害)による
解離症状のような
呆然感で運転してたのだろう。
***
滅多にない
哀しい別れを経験して、
「外孫」「内孫」なる
対語を思い起こした。
自分は、
祖父にとっては「内孫」で、
彼はかねがね
「いっとまご(一等孫)」と
冗談半分で
近所の爺連に自慢していた。
それは、
「外孫」より
一等可愛いという
意味だったのだろう。
だったら、
彼は幸せだったろう。
死ぬまで、
孫と同居できていたのだから。
亡父は、
京都から帰福した時、
アキがリク坊くらいだったので、
「もう、これから、ずっと、
おじいちゃんと一緒だよぉ…」
と頬ずりしていた。
同居はしてなかったので、
自転車で20分ほどの距離を
ものともせずに、
日曜の朝になると
我が家にやって来ては
まだよちよちだったアキを
拉致していった(笑)。
「また、アキちゃん、
さらわれちゃったねぇ…」
と、カミさんも
その溺愛ぶりに苦笑していた。
その意味では、
父も幸福だったに違いない(笑)。
週末には、
必ずや実家に
孫を連れて行っていたから。
コロナ禍で
東京に生まれたリク坊とは、
運命のいたずらで
10ケ月も初対面が叶わなかった。
でも、その間の
初孫への思慕の高まりは、
初対面が実現された時に
いっきにスパークした。
なので、今は、
あたかも、
「受精を終えたサケ」
のようなヘロヘロ状態である(笑)。
それでも、
リク坊ちゃんは
楽しい想い出、
印象的な笑顔を沢山
置き土産として
残して行ってくれた。
フミがわざわざ
置いていった
プレゼントの
ジャンボ・レゴも
「また、来るよ」の
約束手形のように見えた。
思えば、
あんな可愛い孫を
未だ緊急宣言発令中の都内から
意を決して連れてきてくれたのは、
素敵な結婚式への招待来の
ビッグな「親孝行」であった。
カミさんが
仕事から帰ってくると、
第一声が
「リク坊ちゃんが帰ったら、
嵐の後の静けさだねぇ…」
と、意気消沈する
トーチャンを見ながら
慰めてくれた。
ナッちゃんが
就職上京する2週間後まで
在宅しているので、
久しぶりの三人食卓で、
カミさんがぽそりと
「孫の離乳食つくってやる
おじいちゃんなんて
いないよぉ…」
と、慰めとも賞賛とも
とれる言葉をかけてくれた。
毎日、
自分のベントや夕食、
"ぼっちフレンチ"を
当たり前のように作っているので、
別に意にも介してなかったが、
そう言われれば、
波平爺さんがタラちゃんの
赤ちゃんの時に、
せっせと台所に立って
離乳食作る場面は
想像し難いかも…(笑)。
ジャガイモをつぶし、
人参をピューレにし、
卵を炒ってちょいと甘味をつけ、
豆腐を賽の目に切る。
それが、
愛孫の口に入るかと思うと
家族や自分のために作るよりも
一段と心がこもるものである。
しかも、
いつもの"ぼっちフレンチ"の癖で、
ブログアップ用に
撮影までしてるから、
≪フレンチ・シェフならこう創る≫
みたいなコンセプチュアルな
離乳食になったかもしれない(笑)。
でも、いいやい。
リク坊が、
「ンマーッ!!
チュッパ、チュッパ」
と、パークパク
平らげてくれたので
シェフは幸せでありんした(笑)。
きのうは
リク坊「ロス」で
呆然としてたので、
朝10時開始の恒例の
ソーちゃんの順位戦を
すっかり失念していた。
やっぱ、名誉孫も
本物孫には
かなわないんだなぁ…(笑)。
お昼ごろ、
学校で気が付いて
スマホのアベマ中継を
ミュートにして
付けっぱにしながら
仕事をしていたが、
途中で電池がなくなった(笑)。
いつもなら、
ACコードを持参して
電源確保しながら観戦しているが、
なにせ、昨日ばっかりは
「いつも」と違ってたので…(笑)。
急性「対象喪失症候群」に
罹りながらも、
ご新規さんを入れて
五人もフルタイムで
カウンセリングしたものだから、
帰宅時には、体調が崩れ、
夜の自宅カウンセリングを
キャンセルさせてもらった。
7時頃、ベッドに入って
足元の大画面で
将棋観戦をしながら
安静療養しようと
横になった途端に
爆睡してしまい(笑)、
覚醒した11時半頃に
ちょうど、終局していた。
┐(´Д`|||)┌ ネオチシタ…
もう、その先の
解説やらも、さっぱし
見れるような状態でなく、
すぐに、二度寝に入って、
今朝の6時まで過眠した。
今日は、
なんとか、立ち直って、
これから出勤である。
10年目の3.11の日である。
厳粛な気持ちで
2時46分には
黙祷を捧げたい。
こないだの
震度6の余震では、
古楽器工房はまだ手付かずで、
電動工具類がひっくり返った
まんまである。
故障の有無もわからない。
壊れたPCモニターや
オーヴンレンジなぞ諸々は、
先週、クリーンセンターに
持ち込み「災害処分」という
レッドカードをもらって
片付けてきた。

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