2021/4/21
本格的に
学校カウンセリングが始まり、
また、教育臨床の日々が
もどってきた。
昨年度から継続の
常連さんたちの
メンタルヘルスの管理を
行いつつ、ご新規さんの
インテーク(受理面接)をし、
最新のジャーナル(学会誌)で
勉強も怠らないようにしている。
春休みの課題研究だった
漱石の『夢十夜』の深層分析も
まだ未了状態なので、
合間にちょいちょいと
進めていた。
やっと第八夜まで終わり、
残りの二夜を終えたら
冊子化して
お弟子さん方に
配って差し上げたいと
思っている。
「勉強」でなく、
久しぶりに
「研究」の楽しさを
味わえた感がある。
玄関を出ると
タンポポとポピーが
咲いてて
足元が春めいている。
荒川の河原には
菜の花が一面に咲き、
緑と黄色のハーモニーが
これまた春らしい風情である。
ガラスの電灯カバーを
花入に見立てて、
庭のボケを活け
食卓に飾ってある。
カミさん愛用の
ギヤマンのグラスに
カンパリソーダを創り、
"ぼっちフレンチ"の
『パテ・アン・クルート』
(仔羊のパイ包み焼き)
とやってみた。
画像をしげしげと見たら、
この一枚にずいぶんと
「遊び」の要素が
詰まってんなぁ・・・と、
感じた。
「見立て」遊び、
「茶花」遊び、
「カクテル」遊び、
「料理」遊び、
「撮影」遊び、
「ブログアップ」遊び・・・と。
してみれば、
ブログ・テーマの
『人生を遊ぶ』、
ライフ・モットーの
【人生深生き】に
適っている。
もっとも、
道楽も過ぎると、
「道落」になりかねないから、
【過ぎたるは猶及ばざるが如し】
とはならないように
注意はしている。
ツタヤ・ブラウジングで
背取り(佳作ピックアップ)してきた
『聖樹のパン』が
蘊蓄とギャグがいい塩梅で
110円古書としては
面白く読めた。
続きをアマゾンで
検索したら、
目下連載中で
近々、第10巻目が出るらしい。
アマゾンもヤフオクも
送料が高くって、
中古でもワンコイン近く
してしまうので、
昨日は、通退勤時に
ブックオフ二店に寄って
探してみたが一冊もなかった。
今日はオフ日なので、
夕飯当番の買い物がてら
郊外のブックランドを
探して来ようと思うが、
なければ、一巻ずつちまちまと
アマゾンから仕入れるっきゃない。
BS録画してた
シリアス・ドキュメンタリー
『アウシュヴィッツ
死者たちの告発』
を視た。
大学時代に
副専攻で取っていた
『音楽美学』の演習で
『アウシュヴィッツ』という
ギター合奏曲を作曲したことがあり、
福大ギター部の後輩や
成蹊高のギター部が
定演でやってくれたので、
当時も取材したことがある。
今回のドキュメントは、
ゾンダーコマンドという
ナチスが選抜したユダヤ人の
「特殊部隊」の詳細についてだった。
彼らは、自らの延命と引き換えに、
同胞であるユダヤ人を
巧妙にガス室に送り、
その後の死体処理に
従事させられていた。
恐怖と忸怩たる思いで
耐えきれず、
胸の内をメモに書き記し、
瓶詰して「未来への手紙」として
ガス室周辺の土の中に埋めたものが
近年、発見されて解読され、
ホロコーストの恐るべき実態の
一次証拠として検証された。
これを指揮したアイヒマンや
所長のヘスたちは、
みずからの手を汚すことなく
同じユダヤ人に同胞を
殺させて死体処分をさせる、
という非道な事をやっておいて、
戦犯裁判では
「自分は一人のユダヤ人も
殺してはいない」
なぞと嘯いているのである。
その実写シーンも
放映されて唖然とした。
人間というのは、
ここまで、恐ろしい事を
人間に対してするのだ、
ということが
骨の髄まで解かった。
番組の最後で、
毎年行われている
100万もの犠牲者のための
追悼式典で、2020年には、
アウシュヴィッツ記念館所長が
ゾンダ―コマンドの言葉を借りて
「私には恐ろしい予感がする。
(人間というものを)
知っているからだ」
と世界の要人に向けて
メッセージを発した。
アウシュヴィッツは
過去の事ではない・・・
というのは、
中国のチベット族や
ウイグル族への虐殺や
同化政策を見たら
誰もが納得するだろう。
ミャンマーの
軍の専制政治で
自国民を殺害しているのも、
今、目前で起こっている事である。
歴史は
あたかも螺旋階段のように
グルリとひと回りして
同じ事が起こるのである。
コロナ禍もそうである。
なんだか、
人間の愚かしさによる
自縄自縛が
目の前に展開されていて、
いったい、この世は
何処へ向かって
転がっていくのだろう…と、
予期不安に捕らわれている
日々である。

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