「あ〜。オモシロかった・・・」 <(^.^)> ♪〜 ・・・と言いながら、いつか死んでいきたい。
『わが家新聞』の「こだわりの毎日」欄です。
2022/3/6
「復活の神話」
週末は
寒さも一段落して
陽ざしに温もりを感じたが、
今朝はまた、一転して
小雪がちらついた。
なんでも、
また寒波がやってきて
5pほど積もるかも・・・
だそうだ。
寒の戻り・・・で、
春先特有の「三寒四温」が
早くも訪れて、
その寒暖差に
カラダがついていけない。
幸い、あと二週間で、
春休み・・・
スプリング・ロンバケとなる。
ロシアの侵攻が
予断を許さないが、
状況がヒトラーが
欧州大戦の口火を切った時と
酷似しており、
【歴史は繰り返される】
のかと懸念される。
新聞やニュース解説による
情勢分析を逐一チェックして、
プーチンの深層心理を
分析しよと試みている。
ユングは、
ナチスの侵攻を
北欧の神話に出てくる
荒ぶる神「ヴォータン」に
同一化(憑依)したものと
考えた。
2001年の同時多発テロ事件の時、
東京で行われた
『日本心理臨床学会』で
ユング派の河合先生の
6時間ワークショップに
参加した折、直接、先生に
幾つかの質問をぶつけてみた。
・・・というのも、
同年の6月には
池田小学校事件が起こり、
宅間 守という犯人により
8名もの児童が犠牲になった。
そして、9.11の惨劇で
3000人もが犠牲になった。
「日米で、同時多発的に、
無辜の民が、突然の
「悪」の侵入を受けました。
ユングは、
【外的現実と内的(心的)現実は
シンクロする】
と言いましたが、
・・・ということであれば、
これは、我われセラピスト自身や
目の前に現れるクライエントの
心の中とシンクロしている、
ということなのでしょうか?」
これに対して、
先生は、しばし、沈思黙考し、
「まったく、その通りだと思います」
と、一言おっしゃった。
そして、
「我われの前に現れるクライエントは
社会現象を生きてもいるわけですから
その病理も抱えてもいるし、
深層心理においては
相似の心的複合体が
コンステレート(布置)されている
とも考えられます」
とのことだった。
ユングの「普遍的(集合的)無意識」
という考え方に拠れば、
人類共通の「想い」というのがあり、
意識の中心の「自我」(エゴ)は
意識と無意識を合わせた全体の中心の
「自己」(セルフ)の
合目的的なアレンジメントを受ける
というのである。
これは、
何百というオーダーの
個人臨床ケースを重ねてくると
経験的に了解されるものである。
ハナシを飛躍させると、
民主国家と強権国家の
現世界比が
「49:51」という。
まるで、
こころの中の
「善悪比」が
「1:1」(半々)ということを
示しているようにさえ見える。
あるいは、
人類の存亡の「分岐点」
「分水嶺」に現代人は
立たされている・・・
とも見えないでもない。
河合先生は、
常々、人類は命懸けで、
「第三の道」を模索せねばならない、
と口癖のように
仰っていた。
自由民主主義にも
競争や格差問題を包含し、
共産主義にも
権力の集中という問題がある。
神学者のミラーは、
「一神教は多神教を、
多神教は一神教を、
それこそ、命懸けで
理解する努力が必要である」
と述べた。
西洋と東洋は
ひと昔前に比べれば、
ずいぶんと近しいものとなった。
通信・経済は
グローバリゼーション化して
久しい。
それゆえに、
有機体的な関連性も強まり、
一地区の「不具合」が、
あたかも癌のように
全身に影響を及ぼすようにもなった。
パンデミックがそうで、
戦禍もまた
原油・小麦の高騰をもたらした。
プーチンという
独裁者が、
あたかも癌化した組織のようにも見え、
仮に、これを切除したとしても、
強権国家・独裁者は
まだ世界に半分を占めるのである。
人類全体を
一個人のカラダと見立てたら、
「健康」に過ごすには、
組織にあたる「国家」や
細胞にあたる「個人」が、
癌化しないように、
「検診」「予防」にあたる
なんらかの行為・行動を
すべきであろう。
国連が機能しない現在、
それに代わる民間レベルでの
ネットワーク創りでもいいと思う。
【悪貨は良貨を駆逐する】
という格言があるが、
これを逆に言う事もできる。
「真善美聖」を志向する
松明の灯を
聖火のように受け継いで、
世界の闇を
【一隅を照らす】
心意気で個人はありたい。
ヒトひとりは、
五臓六腑だけでなく、
視る、聴く、嗅ぐ、味わう、
冷温圧痛・・・という五感のように
「多様」に分化した
細胞・組織・器官の
有機的ネットワークにある
総合体なのである。
この複雑性と多様性に満ちた
閉じた一つのシステムが
「命」として顕現されている。
宇宙創成時に思いを馳せると、
最初に、単体の量子ありき・・・で、
それが分化・変化して
様々な量子なり元素なりに多様化し、
そして、物質化し生命化した。
この宇宙や物質・生命の
進化をファクトを鑑みても、
「元は同じもの」
そして
「多様性は必然なこと」
すべてはつながっている。
「絆」で結ばれているのである。
癌細胞が
ウイルスよりも質(たち)が悪いのは
自らのカラダから発生し、
個体を死滅させて
自らも滅びることである。
この振る舞いから
「マッド・セル」
(狂った細胞)
とも言われるが、
昨今の社会病理でもある
「拡大自殺」やら
その国家版の
「核使用自滅」が
あまりにも酷似している。
人をして
最も強く動かすのが
その人の「個人の神話」である。
これは、
狂信的イデオロギーにも伍する。
「聖戦」という名の
宗教戦争が、どれほど、
人類史において
殺戮に加担してきたことか。
プーチンには、
いくつかの神話が重層的に
見て取れる。
一つは、
5世紀にわたる
敗戦的屈辱から復活する
「死と再生」の『英雄神話』である。
もう一つは、
自らのウラジミール姓と
アイデンティティーの源でもある
キエフ公国の一部だった
ウラジーミル・スーズダリ大公国が、
ロシア正教圏から離脱して
カトリック教圏に組み込まれてしまう、
という危機から救うという、
やはりこれも『英雄神話』である。
これは
「母なるもの」を護る、
という彼の中では
聖戦的な絶対的な確信が
あるのやもしれない。
その対象喪失を恐れた
予期不安感は、
現実見当識を欠いた
幼児的万能感でもあり、
これは妄信・狂信・迷信の類で、
病理的なものである。
ジョーク欄の
ソーちゃんが
高木 美穂の「銀銀銀金」で
「よく詰みました」
は秀逸だった(笑)。
プチ・マイブームとして
『リュート・マラソン』なるものを
やっているが、
14〜16世紀のルネッサンス期に
8コース→10コースと進化してきたリュートが
17〜18世紀のバロック期になると
13コースと弦を増やしていった。
これまで、
8コースと10コースの
ルネッサンス・リュートで
オリジナル曲はもとより、
現代曲やポピュラー、
フラメンコにまで
汎用を試みてきた。
ここにきて、いよいよ、
さらに弦数の多い
バロック・リュートをも
この機会に試してみようと
弦の交換などメンテをした。
そして、
この楽器独自の
ニ短調調弦のままだと、
タブ譜でないと弾けないので、
ギターと同じ調弦に直して
五線譜で弾けるようにした。
修復したスピネットでも
曲想や解釈の試奏をして、
いろいろと新たな発見もし、
「音楽する」喜びを感じている。

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