2019/9/15

あの灰が零時になるとき  


















溶鉱炉の
中で
どろどろに溶けた
灰色の自我を
化粧水の
ように
皮膚の上に
塗りたくる
熱さというよりは
痛みの連なりで
焼けていく
おれの上面

度を超えた衝撃は
幻覚を
引き起こす
だけどそれは
いつかしら見たことがある
どうしようもない現実の
一場面によく似ている

なにかを書くということは
自分自身を
ひどくいたぶるということだ
傷口から流れた血液を
壁に塗り付けていくような行為だ
ときどき
血を止めてくれと思うこともある
それほどに激しい血が
どくどくと流れ出してとまらないことがある
だけど
おれは思うのだ
恐怖があるということは
それが
いくつかの真実を含んでいるという
なによりの証拠だと
おぞましい映画を
終わりまで観てしまうのときっと同じことだ

おれは
どろどろになって落ちた
おれの表面を搔き集め
なんて頼りないものだろう

考える
それに語ることが出来るものなど
たかが知れている
おまけに
余計な誤解だって
そこには
含みがちだ
たとえば
あるときおれの前に立つものが
言葉をどう読むかもわからない田舎者だったりしたら
そんなやつと話すための言葉などおれは持ち合わせていない
おれは
自分が築き上げてきた
おれなりの言葉でしかすべてを話せない

蝉が
七日しか生きられないというのは
どうやら嘘らしい
ラジオで言ってた
とても重要な出来事みたいに
ディスクジョッキーは
感じ入っていた
そうかい

おれは
コーヒーを口にした
知らない誰かの
訃報を
何度も聞かされた時みたいに

ひとは
歳を取るようで
たぶん取らない
したり顔で
これまでの人生を語っても
そこからなにかを学んでいなければ
どこかで見つけてきたみたいな
安っぽいことしか語れない
どこかの商店街を
看板だけ見ながら歩いて
すべてを知った気になっているような
そんな間抜けさしか残らない
おれは
搔き集めたおれの表面を
庭へと掃き出してまとめ
ライターで火をつける
そいつは
有り余る断片を吐きながら
すべてが煙になって消えて行く

鈴虫が鳴くのは
きっと喉が痒いせいだ

秋になるたびに話していた女は
この街でいちばん高い橋から
カゲロウのように飛び降りて散った
あとになって遺書が届いたけれど
それは
遺書どころか文章かどうかもあやしいようなものだった
それを読んだとき
おれにはわかったのだ
鈴虫が鳴くのは
喉が痒いせいなんだって
すべてのいきものになにもなければ
すべてのいきものは
生まれて死ぬまでただ黙っているだけだろう

おれは焼けただれたまま
彼女に手紙を書いた
どこに送ればいいのかもわからなかったけれど
そうしたくてたまらなくなったのだ
それで
いろいろな鳴声に
しっくりくる症状をあれこれと書き出した
春に死んだ
パンクロッカーの名前もそこに入れておいた
おまえは
向こうで彼に会ったかな?

天気予報は雨は降らないというが
空気はイラつくほどに湿気ている
眠るたびに居心地の悪い夢を見る
それは悪夢ということではなくて
なにかとても悪いものが隠れている
そんな予感に満ちているような何気ない風景というか
夢のあとの朝に立ち尽くして
おれはおれの現実に
腹を立てながら窓を開けるのだ

嘘や真実は
これという形を持たない
それが真実という場所に居れば真実だし
嘘という場所に居れば嘘になる
おれは眉間にしわを寄せながら
そんな目くらましの裏側にあるものを知ろうと躍起になっている
一言で片づけるのは容易いさ
深く考えなければいいだけのことなのだから
簡潔な言葉を信じるな
そういうやつらは
安くて脆いマイホームに手を出しがちだ
手段や手法にこだわればこだわるほど
そのほかのすべてが見落とされてしまうことを忘れてはならない

ある日突然脳がぶっ壊れた父親は
痛みを自覚してもそのことを思い出せないまま
癌細胞の漬物みたいになって死んだ
歯の検診をしているみたいに
ぽかんと口を開けて
あんたは幸せだったのか
あんなに懸命に働いたのに
ろくな子供を残せなかったね
置き土産の安っぽい二階建てで
母親はやせ細って生きている

なぜ
どうして
なんのために
なんて
しなくてもいい自問自答を
繰り返すそんな時はとうに過ぎたけれど
それでも時々
ふとした瞬間に
そんな青臭さが
くすぐることがある
言ったろ
ひとは
歳を取るようでたぶん取らないって

結局のところ
ノウハウが増えるだけ
使える言葉が増えるだけ
嘘のように本当のことを喋ったり
あるいはその逆のことが
平然と出来るようになるだけ
なにかをわかっているようで
結局はなにもわかってはいない
年老いてやせ細ったりぶくぶく肥えたりした醜い身体で
どうにか恰好をつけようと目論むばかりなのさ

おれはイカサマ野郎だから
歳を取らないみたいに生きる
それはつまり
年輪に囚われないで生きるということだ
人生という大きなくくりで言えば
生まれてから死ぬまでは
生きるということだけなのだから

新しい夜が始まり
新しい朝が近付いてくる
だけど知ってるかい
地球は
ただ
くるくる回っているだけなんだ

一日の終わりに鏡を覗いてみると
燃え落ちたはずの俺の表面は
何事もなかったみたいにすっかり元通りだった
あの激しい痛みはなんだったのか
でもおれは
それが初めてではないことを知っている









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2019/9/9

どうして時々どこかに出かけるのだろう  




















安いキャリーバッグの
硬質プラスチックの車輪が
まばらな拍手のようなリズムで
旅行者の孤独を連れて歩いている
バスターミナルは蒸し暑く
分厚い屋根に覆われている
様々な方言や言語が
異常発生したムクドリの鳴き声みたいにそこらで飛び交ってる
汗をかきすぎたシャツは身体に張り付き
清潔な動物園のようなにおいをたて始める
喉は掠れていて
飲み物を口にしたいけれど
バッグの中のペットボトルは
バスに乗るまでは取っておかなくちゃ
ホテルのベッドはいくら快適でも
うまく眠れた試しがない
見知らぬ場所での疲れは独特で
住処に帰るまでそれだと気づくことがない
どうして時々どこかに出かけるのだろう
たいした稼ぎもないのに
何ヶ月も前から体制を整えて
ちょっとした買い物なんかのために
帰るためのターミナルであと半時間ほどを過ごすとき
俺はいつでも自分の役を忘れた舞台役者のように
あるはずの台詞を見つけられずに佇んでいるみたいな気分になる
ただ人々がすれ違うだけのここは
ほんとは地名すら必要ではなく
世界のどこでもないような場所だ
そんな場所にいるからこそ
自分自身をしばらく泳がせて
意識をリブートさせることが出来る
ここはどこでもなく
俺は誰でもない
さながら来世を待つ
あの世の待合だ
アナウンスは繰り返す
誰かがどこかへ旅立ち
誰かがどこかへ帰ろうとしている
彼らには名前があるだろうか
彼らの向かうべき場所は
彼らにとって
彼らを取り戻すための場所だろうか?
どこかの乗り場の扉が
空気を吹き出しながら閉まる
これは現実じゃない
現実に戻るためのトランジションなのだ







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2019/9/5

ただ真夜中が流れ落ちていくだけの  




















とある感触はおそらくは動脈からの血液を不規則に浴びるシャワーのようなものだった、だから俺はおとなしくしてそれを浴び続けていた、だってそれは俺の血以外には在り得なかったし、その中途半端な温度は浴び続けることにどんな苦労もなかった、これは惰性なのか、それとも好奇心なのか、それとも安住の地なのか…いくら考えても答えは出なかった、たぶんそのどれでもないなにかだろうがいざ言葉として表現しようとするとその程度のフレーズにしかなり得ない、しいて言うならそんな種類の暗喩だけが思考の端々を突っついていた―床に血だまりは出来ていなかった、だからそれは俺の中に戻っていっているのだろうと俺は思った、では出処はどこなのかというと、どれだけ目を凝らしてみても見つけることが出来なかった、確かに灯りはもう消していた、けれど、まるで目を閉じてでもいるかのような暗闇がそこにあるわけではなかった、夜行性のアナログ時計の針や、確実にどこかに接続されていることを知らせるルーターの小さなランプにより、部屋には瀕死の希望程度の光源が常にあった、でも俺は、その出処を決して見つけることが出来なかった、不可能である、という現実が示すものは、その式を解こうとする行為は必要ないということだ、だから俺はおとなしくそれを浴び続けていた、特別そうすることによってなんらかの変化があるわけではなかった、なにかに目覚めるとか、なにかを思い出すとか、安易な悟りを開くとか…そんなことはいっさいなかった、ただ一番早い記憶のような感触が連続し続けているだけだった、でも不思議なことに、俺はその場所を離れる気にはならなかった、いかさまな催眠術師にかけられた術がたまたま効いたかのようなぼんやりとした気分で、あるのかないのかわからない自我を楽しみながらずっとそうしていた、閉じたノートパソコンからはコステロのベストが延々流れていた、つけっぱなしのエアコンのせいで部屋はよく冷えていた、消してしまうとこの部屋はたちまちのうちに異様なほどの湿気に支配されてしまうのだ…血、俺は血について考えることにした、状況としては妥当な選択だろうと思える―詩を綴るということは、自分自身の血に縛られるということだ、そこを流れているすべての遺伝子を分解して、核を半分に割った時に転がり落ちてきたものを真実であるかのようにうたうことだ、俺はこれまでもそんなことを書いてきたし、またこれからも書いていくことだろう、そうすることによって俺は自分がどんなものであるか知ってきた、それはおおむね退屈と呼んで差し支えない人生において、その行程を繰り返すことはこの上ない喜びだった、快楽と言ってもいい…そうした行為が導いていくこの俺自身の心情のようなものは、俺自身の真実なのかあるいは妄想なのか、個人的にはどっちであろうとたいした違いはないのだが…その繰り返しがここまでの俺を調律してきたと言っていい、だから俺は自分の為のうただけはとりわけ上等に歌うことが出来る―感覚にフォーカスを当てることだ、それは間違いがないが、そうすることでどうなることを望んでいるのか?いわゆる解脱のようなものか?肉体を飛び越え、魂だけの世界を垣間見ようとしているのか?以前はそう考えていたこともあった、けれどいまは必ずしもそうとは言い切れない、それは非常にフィジカルなことでもあるからだ、だってそれは肉体のビートなのだ、肉体のビートを書きつけようとするときに肉体を忘れてしまったら…それはただの垂れ流される水のようなものだ、閉め忘れた蛇口から流れる水のような、単調でつまらないだけのものになってしまうだろう―はっ、と俺は思考の渦を逃れる、俺がそれを俺の血液だと間違いなく認識していた理由…シャワーから溢れ出してくる不規則なそれは、間違いなく俺の肉体が奏でているビートそのものだったのだ、だから俺は浴び続けることが出来た、当然のことだ…俺はひとつの奇異な現象として、俺自身の詩を吾身に浴びていたのだ、それは例えば言葉を音符に変換して、メロディーとして体感するようなそんなものだった、どうしてそんなことが起きるのだろう?気づけばそこにはいつもとなにも変わらない夜だけがあった、今夜は眠ることが出来るだろうか、と俺は考える、眠りなどまやかしだ、目覚めているこの時がそうであるのと同じように―俺の話していることなんてすべて嘘かもしれない、だけどそれがもしも記憶の奥底で目を出したなら、まやかしとしてはそいつは極上の真実となるのだ。







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