2019/8/4

Firewheel  











喫煙者でもないのにライターを、それも中々に高額なオイルライターを所持しているのにはそれなりの訳がある、なんのためかって?それは話を聞いているうちに判ってくる―なんて、べつにもったいぶるようなことでもないのだけれど…まあいい、ともかく、おれは今日もスーパーカブに乗ってバイパスを北へと走っていた、休日はいつも平日よりも早く起きてその道を走る、街外れまで走ると国道は次第に傾斜を増し、酷道と呼んでも差し支えない有様になる、すぐ下を高速が抜けているせいで、いまでは地元民でさえその道を使うことはあまりない、なにせ所要時間が一時間以上違うのだ、余程の暇人でもそちらを使うだろう―こんな旧道を走っているのは、おれのような変り者か、免許取り立てのガキくらいのものだ、そして、頻繁に走ってみたって、道中でそんな連中に出会うことは滅多にない…曲がりくねった狭い山道は、車と原付がすれ違うのにも一苦労だ、おまけに、長い時間を掛けて堆積した落葉や、終始日陰になっているところに生えた苔に足を取られる、走れないほど危ない道というわけではないが、普通に考えればわざわざ選んで走るような道ではない―もちろん、おれがわざわざそこを選んで走るのにはそれなりの訳がある―そう、オイルライターを所持しているのと同じ訳が…ギアを落として、のんびりと走る、スーパーカブに乗り始めたのはつい最近のことだ、怖ろしく燃費がいい―まあ、そんな話はいまはいいや、中腹の分岐で細い方の道を選んで40分ほど走っていると、崩れかけた石垣に囲まれた木造瓦屋根の古い廃屋に辿り着く、そこが目的地だ…盛大な音を立てて引戸を開けると玄関は土間になっていて、その右手に台所や水場、汲み取りの便所と風呂場がまとまっている、土間から土足のまま住居スペースに入る、入ってすぐに居間がある、奥の襖を開けるともう一部屋―どちらもあまり広くはない、4半畳といったところだろうか―奥の部屋の畳を外すと、人が一人胡坐をかいて座れるくらいの広い床下があり、そこには実際人が一人、胡坐をかいて座っている…尼のように頭を剃りあげた若い女だ、スキンヘッドがよく似合う卵型の顔に、でかい目と直角三角定規のような鼻と小さな口がついている、胡坐をかいた姿しか見たことがないので定かではないが、それほど身長はないだろう、よう、とおれは話しかける、女はちらりとこちらを見やるが、すぐに目線を戻す、相変わらず、おれに興味はないという具合だ…つれないね、とおれは冗談を言う、おれはこの女の声を聞いたことがない、喋れないのか、喋りたくないのかすら判らない、長くそこに居過ぎて、言葉を忘れてしまったのかもしれない、襦袢のようなものを着ているだけで、いつの時代の人間なのかもまったく判らない、もしもおれがもう少しそういった能力に長けている人間だったら判るのかもしれないが…おれに判っていることはたったひとつだけだった、おれはぱちんと音を立ててライターの蓋を開け、親指で火をつける、女は相変わらず同じところを見ているが、蓋の音と火の臭いで明らかに高揚している、まるで餌の時間になった猫のように―おれはそれを女の左耳に近付ける、ちりちりと皮膚が焼ける臭い…女はうっとりと目を細める、しばらくそうして炙っているとマグネシウムのように左耳は燃焼する、おれにはその瞬間に彼女が絶頂に達したことが判る…嘘じゃない、本当にそうなのだ―女は息を荒くして、ただの穴が開いただけになった横顔を俺に晒している、おれは場所を移動して今度は右の耳を同じように燃やす、右耳の燃焼は左耳の時よりも少し音が低い―次はどうするのかって?鼻を炙る、鼻は少し時間がかかる、でもそれが燃焼するときの火柱はちょっと見事な見世物だ、おれは昔どこかの田舎で見た蛍火を思い出す―いつもだ―次は左目…そのころになると女は小刻みに震えだす、姿勢を維持しているのがやっとという感じだ、まあ、こんなこと白状しなくてもいいのだけど、おれも悪い気はしない…右目を炙り、それから口を炙る―顔のすべてが消え失せると女は泣き伏せるような体勢になり、そのまま消える―おれは畳を戻して、居間へ出て、襖を閉め、土間へ降りて家をあとにする、その家にどんな曰くがあるのか、そしてあの女はなにを思ってあそこに座しているのか、詳しいことはなにも知らない、ただ、去年初めてここを訪れたときに、そしてわずかな物音を聞いた気がしてあの部屋の畳をはぐった時に、あの女がそれを望んでいるような気がして、慌ててライターを買って再度訪れた、おかしな話だが、その時点で俺にはどうすればいいのかすべて判っていた、あの女はそれを待ち望んでいた―おれはそれから休みのたびにこんなことを繰り返している…あの女は燃やされて死んだのだろうか、時々彼女を炙りながらそんなことを考える、そして―いつまでこれは続くのだろうか、と…もしもそれが終わるときが来たら、あの女の気が済んでこの世を去るときが来たら―次にあそこに座るのは俺になるのだろうか、なんて。








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