アンダーカヴァー・オブザナイト  














分厚い硝子瓶の表面には精巧な細工が施されていた、じっと眺めているとそのうちに、想像上の神殿の回廊にでも迷い込んだかのような気分になりそうな気がした、おそらくは花瓶だったのだろうそれは、なにをいけられることもなく一枚板のカウンターの上で静かに天井照明を分解してばら撒いて遊んでいた、ローリングストーンズはウィラブユーと口ずさんでいて、アルコールは脳味噌をほんの少しリラックスさせただけに過ぎなかった、誰かが吹かしたマルボロの煙が微かに流れて来ていた、まるで関連性はないというタイミングで鼻をつまんでやり過ごした、二十三時で、週末の夜に彷徨う連中はその夜の奇跡を諦め始めて、虚ろな瞳でキューのタップにチョークを擦りつけていた、あいつは最初のショットを失敗するだろう、俺にも、周囲をうろついている連中にもなぜかそのことがわかった、「くそ」案の定その、ブロンドの若い男はつまらないミスをしてキューを叩きつけようとしてなんとか思いとどまった、あまり背の高くないその男の佇まいは、二十年くらい前の西部劇のムービーを思い出させた、あれは確かリバー・フェニックスの主演じゃなかったかな?勘違いかもしれない、記憶なんて余程のことでなければ確かに機能することはあまりない、もう家に帰ってシャワーを浴びるべきだった、日付変更線を越えるまでここに留まってしまうと、明日の休日は眠っている間に終わってしまう、そんなことはこれまでにも何度もあった、いつもはもう少し気をつけていたのに今日は少し長居をしてしまっている、いつの間に背中で繰り広げているゲームには興味を失っていた、あの若者は酔い過ぎていて集中力を欠いている、おまけにあいつの相手をしている細身の中年の男は、数年前に隣町で行われた割と大規模な大会で優勝のトロフィーを手にしたことがある、若者がそれを知っていたかどうかはわからない、それは知らないうちに始まっていたから、どちらが吹っ掛けてどちらが答えたのかなんてことはまったくの謎だった、といって、そこらのやつに聞いて回るほどの関心もなかった、だいたい俺はビリヤードそのものにたいして興味を持っていないのだ、若者は今度は本当にキューを床に叩きつけた、ちょっとあんた、店員が少々腹を立ててそいつの右腕を掴んだその時だ、そいつは身を翻して店員の腕に小さなナイフを突き立てた、ああ、と店員が短い悲鳴をあげてダークブラウンの床にしゃがみ込んだ、ちくしょう、と若者は歯噛みをした、中年の男は面倒にならないうちにさっさと引き上げていた、おまえらなんかな、と若者はナイフを振り回した、集まろうとしていた客や他の店員らがさっと距離を取った、どいつもこいつも馬鹿にしやがって、とそいつはたどたどしい呂律でそう言った、それから、全員殺してやるからな、と出来る限りのコワモテ声でそう付け足した、そりゃ大変だ、俺が腰かけているスツールはたまたまそいつの背中の位置だった、俺は静かにスツールを下りて、一番近くに飾ってあったズブロッカのボトルを握り、ドラゴンを退治する勇者みたいに若者の頭へと振り下ろした、若者は一度ぴいんと背伸びをして横向きに倒れた、ボトルは割れて、高い化粧品みたいな香りが辺りに漂った、ふう、と俺はもとの席に腰を下ろしてバーテンを呼び、弁償すると言ったが彼はそれを飲まなかった、あんたが動いてくれなければ酷いことになってたかもしれない、と言って、今日の飲み代はタダにすると宣言した、そんな、と俺は異を唱えたが押し負けた、これからも来てくれるなら三度に一度はあんたから料金はもらわないよ、とバーテンは言った、それは魅力的だ、と俺は舌なめずりした、でも当面は若者のために救急車を呼ぶべきだった、まだ誰もそれをした気配がなく、若者はズブロッカの漬物になって床に転がっていた、電話を使わせてくれと言ったら、バーテンがじゃあ私がやろうと言って電話を掛けてくれた、喧嘩騒ぎだと言ったら警察が来ることになって、俺は日付変更線を過ぎても店に居なければならなくなった、とはいえ、それはそんなに長くはかからなかった、俺が経緯を説明して、バーテンがいくつか付け足しただけだった、あんたみたいな人がたくさん居たら俺たちの仕事も減るんだがな、格闘家みたいな黒人の警官は皮肉とも賞賛とも取れる表情でそう言った、俺はこれで給料をもらえるわけじゃないんだぜ、と返したら楽しそうに笑って帰って行った、パトカーが走り去るのを見届けてから俺も帰ることにした、今日はすまなかったね、それから、ありがとうとバーテンが言った、なに、と言って俺は首を横に振った「たまたまさ」、そして俺は店を出て歩き始めた空は曇っていて、つまらない舞台の暗転みたいにすべてを隠していた若者のことがほんの少し気になったけれど、病院まで歩いてみようという気には到底なれなかった。









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