そういうわけで俺は今夜も禍々しい陽炎と対峙している  




















鈎爪の傷跡みたいな疼きの記憶、冷えた床の上で陽炎のようにゆらゆらと燃えさかる、心許ない火柱の真ん中の羅列が今夜俺を掻き回している…ラジオ・プログラムはチャイコフスキーを垂れ流していて、その旋律は医療チューブの中を流れる人工血液の永遠的な循環を連想させる、それを他の誰かがどう思うのかなんて俺には知る由もないが、少なくとも俺の趣味じゃなかった、真冬の寝床で生じるイメージとしてはいささか平坦過ぎた―そうは思わないか?イメージは幾重にも積み重なり、また輪郭を曖昧にして、いくつかがどろどろに絡み合っているようなそんな融合があちらこちらにあり、一見するにそれが何のためにそこに羅列されているのか、想像すら出来ないくらいに混沌とした状態が望ましい…ありがちな、整理して、テーマを絞って、なんて言い草に耳を貸す必要はない、それはダイエット食品のカロリー表示を見ながら用意される食卓のようなものだ、つまり、懐疑的で馬鹿馬鹿しい…それは食品としてまともではない、偽善的な食事だ、わかるだろう?脂肪が落ちないのは食いもののせいじゃない、精神のせいなのだ―違うものに例えてみようか?部屋が片付かない、要らないものを捨てるだけでいい、そんな風潮があるじゃないか、そんなものは片付けですらない、それは片付けるという概念を放棄した、最も安易な手段だ、すべてのものがそこに在り、それをどう扱うのか、どこで何を持ち出すのか、その算段がイメージの本質だ、イメージの本質ということは、人間としての本質でもあるということだ、本質がぶっ壊れている、安易で適度なものにばかり飛びついて、手早く済ませて終わった気になっている―情報は山ほどあるのに、ただの見出しの収集家になっちまって、それをまったく上手く飲み込むことが出来ない、お笑い草だぜ…慌てるなよ、結論を急ぐのが得策であった試しはないぜ、少し時間を掛けて考えてみることだ、ひとつのイメージが分裂したり再生されたりして、少し形を変えるまで待つことだよ、そのプロセスがあって初めて、人間は本質を理解することが出来るんだ、ま、お前がもしも掲示板で他人の上げ足を取って居たいだけの存在になりたいのなら、これ以上俺がかけてあげられる言葉はないけどね―人生はたまにリプレイされる、わかるだろう、思ってもいないときに、何気ない瞬間に、現在の場面にまるで関係のない何かが脳裏からやって来ることがある…なぜだ、と俺たちはそのイメージについて考えるのだ、無意識にね―無意識に、そのことは大事だ、なぜ俺はいまこんなことを思い出しているのだ、そこまでは必ず、無意識のまま進む、その後の思考についてより意識的になるためにだ…それからどうする?もっと深いイメージを求める、不意に思い出されたその記憶を掘り下げていくことで、いまの自分がその記憶を受け止めることが出来る、その認識はそれが最初に記憶として植え付けられた瞬間と同じであるときもあるし、まるで違うように思えることもある、そしてそのふたつの認識が、しばらくの間漂い続け、そのうちに、なぜその記憶がいま必要だったのかということを悟るのだ、本能的に、それから、自覚的に―俺にとって詩とは、心ゆくまでその絡み合った糸のようなイメージで遊ぶことだ、解きほぐすのではない、それは人工的だ…時折ほどけたり、再び絡まったりというさまを見て楽しむのさ、そうすることによって出来たスペースに、また別のものを押し込んでおくためにね…つまり、他の何かを用意すること、ではない、同じものをどれだけ違うところから眺めることが出来るのかということなんだ、お前が球体だと思っているそれは、少し転がしてみたら小さな穴が開いているかもしれない、他の場所には何かが刺さっているかもしれない―そのすべてを見ることなく球体だと思って済ませてしまったら、お前はもう二度とそれについて知ることはない、納得のいく形で認識されたものを、初めて知識と呼ぶべきだ、だってそうだろう、そういうものじゃなければ、人間はきちんと成長することを忘れてしまう…見てくれを気にしてばかりいる連中を見れば少しはそのことが理解出来るはずさ、とっちらかった部屋は魅力的だ、探せばなにかしら見つけることが出来る、もちろんこちらに、探す意思があればということだけどね…そういうわけで俺は禍々しい陽炎と対峙している、ハロー、と俺は呼びかける、向こうが俺をこうして気にかけてくれるというのなら、細胞が稼働している限り全力で答えるのみさ。










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