子守歌は静寂の雑踏のなかで  














せせらぎは忘却のように消え失せてしまった、もう、おまえは、地に落ちた果物みたいにいびつで惨めなしろものだ、指先が震えているのは、根源的なおそれのせい、途方もない量の雨が世界に飛び降りてくる、人々の寝息が呪いのように首もとにしがみついて…もしもはっきりとした悪夢とでも呼べそうなものがすぐそばに在るなら、そのほうがずっとましだとおまえは考えるだろう、けれど、生命の領域に関わるものごとには選択肢など存在しえない、たったひとつのピースを拾い続けるしかない、おかげでおまえの右手は、人差し指と親指だけが摩耗してぼろぼろだ、まるで塩酸のなかに浸かりでもしたみたいに…叫びと呼べるようなものはもうない、そんな段階はとっくの昔に過ぎ去ってしまった、意思として表示出来る感覚など表層のものに過ぎない、おまえ自身にはまだそのことははっきりとは理解出来ていない、無自覚だからではない、むしろ、おまえはそこを自覚しようとし続けた、何年も、何十年も―それは良いことでも悪いことでもない、少なくともいまは結果として語られるべき項目ではない、また、結果として失敗としかとらえようがないようなものでも、経過としては成功と呼ぶべきことがらもいくらでもある、大切なことをひとつ言っておきたい、結論とは必ずしも、人生に必要なものではない…結論を急ぐあまりに過ちを貫き通す間抜け面を、おまえだって何度も眺めたことがあるはずだ、在るように見えるものにとらわれてはならない、むしろ、ないのだと思うことのほうがずっと得るものは多い、理解出来るだろうか?茸を取るためだけに山に入れば、その他のあらゆるものを見落としてしまうだろう、たとえるならそんなことさ―夜には、とくに真夜中には、内に潜む声というものが殊更によく聞こえる、なんのためにその言葉がそこで蠢いているのか、感覚的に理解することが出来る…それがどんな内容であれ、聞かないよりは聞いておいたほうが絶対にいい、そのことでなにを背負う羽目になっても、必ず先へ進むための意志となるはずだ、それを拒絶しなければならない理由がどこにある?人間などどうせきちがいしか居ないのだ、自分をまともだと信じ込んでいるきちがいと、自分は狂っているのだと理解しているきちがいだ、どちらがよりまともかっていう話じゃない、どちらにせよそれはきちがいなのだからね…そしてそれは時により、あっちからこっちへ、こっちからあっちへと移動する、そんなに数は多くないけれどもね―近頃はより少なくなっているみたいだよ―だから、なんなのか?狂っているから生きるのだろうか?なんのために?まともになるためにか?―違うね、最初はそんなふうに思うのもしかたがない、でもそれはまるで間違いなんだ、ではどうしてだ?簡単なことさ…どうして狂っているのだろうかと、そしてこれからどれだけ狂ってしまうのかと、そんなことが知りたくて生き続けるに違いないのさ、おまえにだって心当たりがあるだろう、あるはずだろう、だって、もしもまともになることが目的なら、とっくにくたばっていなくちゃおかしいはずじゃないか…地に落ちた果物は腐り始める、腐敗という世界の中に溶け入っていく、そして、腐れないものだけがそこには残る、齧られなかった果物に意味はないのか?なんだって?そんなことどうしておまえに決められると言うんだ?おまえは、地に落ちた果物のなにを知っているというのかね―知っているというのは簡単なことだ、おそらく知らないというよりはね…けれど、そんなことにはなんの意味もない、船が動くものだと知っていても、どこをどうすれば動き始めるのか、どんなふうに操作すれば海を越えることが出来るのか…そんなことを身をもって知らないかぎりはね―関係のないことに目を向けるべきじゃない、必要なものと不必要なものを、頭のなかできちんと選り分ける技術が必要になる、まずそれが出来なければどうにもならない、出来なければ、間抜け面を晒して生き続けるのがオチさ…なあ、夜、すべてが軒を閉ざしたあとの街路を歩いたことがあるかい、眠れない焦燥に突き動かされて、夢遊病者のように、白くなり始めた空の下を、とぼとぼと歩き続けたことがおまえにはあるかい?あとになって考えると、それはすごく美しいことだったように思えるんだ…なにものでもない、どんなものでもない彷徨い、ぼんやりとうろつく視線がとらえる無軌道な風景―おまえが本当に話したいことは、そんな光景のなかにあるんじゃないのか?―プレイヤーの針が上がって、ターン・テーブルが緩やかに回転をやめたら、少し外の風に当りに出かけないか、歩き続けていると、いつか―







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