ほんの、少しだけ濡れた  









忌々し気にジャングルブーツでガードレールを蹴飛ばした女を横目で見ながら今夜の行く先を探してる、夜は突然に身も凍るほど寒くなり、そしてポケットには僅かな金しかない、一時間でいい、ほんの少し腰を下ろして、疲れた身体を休めることが出来るところを思い出したい、だけど疲労は記憶喪失を連れてくる、俺の脳味噌はストライキを起こしてる…通いなれた道を異邦人のように歩く違和感、思えば俺の人生は違和感ばかりだったな、合せる辻褄を探すべきだったのかもしれない、でも俺はそんなことに興味がなかった、詩と、音楽と、ほんの少しの欲望、そんなもののためだけに生き続けてきた、人生に確かなものが欲しかったのは多分三十代くらいまでだ、それだけ生きたら人生は欲しがるものではないと理解出来る、無造作に投げ込まれた世界だ、あれこれと意味をつけても仕方のないことの方が多い、人生は街の下を流れる日の当たらない川さーこれは絶望ではなく、諦観でもなく、ましてや自暴自棄なんてものではない、現実ってもんをしっかりと把握している、俺はそう思ってる、そこについてはもう余計な感情なんてまるでない、それは勝手に流れていくものだから…塞がれてるんじゃ流れを見つめることもままならないしね…俺は疲れていた、取るに足らない疲れだったが、今夜はそれがなんだか腹立たしかった、あの、ジャングルブーツの女みたいに、なにかに当たることで消化出来るようなものではないと分かっていたし、第一そんなみみっちい真似をしてすっきりすることなんて死んでもやりたくなかった、俺はただどこか、音楽の流れる店に腰を下ろして、少しの間静かに飲んでいたいと考えていたんだ、数少ない馴染みをいくつか訪ねたけれど、ひとつは潰れていて、ひとつは看板が変わっていて、ひとつはただ閉まっていた、気まぐれに味方してくれるやつなんてそんなにいない、まあ、そんなことは、いやというほど分かっちゃいたけどねーブルースのカバーをリリースしてから妙に白けてしまったストーンズを久しぶりに聴きたいと思った、でもそいつは家に帰るまで我慢することは出来た、AC/DCでも、コリー・ハートでも、ZZーTOPでもなんでもよかった、なんならナックだって…アヴリルだってそんなに悪くない、とにかくきちんとギターを弾いてるバンドが聴きたい気分だった、ザ・バンドの曲名が書かれた小さなバーの看板を見つけたが、もう閉めるところだった、一杯でいいんだが、と駄目もとで頼んでみると、自殺したボーカリストそっくりに着こなした店主は快くOKしてくれたー「そういうこというやつって本当に飲みたがってる人だから」というのが理由だった、「明日は休みだしね、どうってことはないよ…帰ったって寝るだけだし」それから俺たちはなぜかディランの話ばかりした、店主は「川の流れを見つめて」が好きだと言った、俺が好きなのは「珈琲をもう一杯」だった、そして俺は金を払い、礼を言って店を出た、砂が風に混じっているみたいな雨が降り始めていた、空は少し明るくなり始めていた、そんな時間だったのか、俺は茫然として立ち尽くした、いまでも時々は矢のように過ぎる時間に自覚的になることがある、人生は街の下を流れる日の当たらない川だ、そのほとんどは知らないうちに流れて行ってしまう、俺は真っ暗な川面に浮かぶいくつもの詩のことを思った、それは俺が生まれてこれまでに書いてきたすべての詩だった、愛された詩もあったし、嫌われた詩もあった、誰かを怒らせた詩だってひとつやふたつじゃない…でも俺はそんなことのために詩を書いたことなどなかったし、べつにしったこっちゃなかった、頭をぽんぽんと叩いて、白み始めた夜の中をまた歩き出した、けたたましい声の鳥が鳴いている、ふかふかのパンを色鮮やかにペイントしたトラックが、少し離れた繁華街を目指してアクセルを踏む、そのすべてが細かい埃に塗れている、そのまま降るのかと思われた雨はこと切れるみたいに止んでいた、動いているすべてのものが誰かの葬式を待っているみたいだった、ぼんやりしていた頭が少しだけギアを強く入れていた、新しい詩を書かなくちゃいけないと思った、俺は深呼吸をして、家までの道を走って帰った、キッチンのテーブルで短い詩を書いた、誰かに見せるものになるかどうかは分からないけれど、ようやくその日眠る理由が出来た気がした、手短にシャワーを浴びて、歯を磨いてベッドにもぐりこんだ、有名なギタリストが死んだそんな朝だった。









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