2007/12/21

一番追っかけてたのは"とき"でした  鉄道
正月休み前で三連休前の金曜日となると忘年会ピークだろうなぁー。
こんな日は電車も混むだろうから早く帰ろう。

フィルムのデジタル画像化もだいぶ進んできたのですが、一番撮ってたのが181系ときの写真でした。もちろん文字マークの時代です。
そんな中から数カットを紹介してみます。

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尾久〜赤羽間。151系から来た車両です。
車番がわかればいいのですが、今となっては先頭車のスカートにあるタイフォン穴の形状でざっくり判断するしかないのです。151から来た車両は幅広の丸長穴が開いてるタイプが多いです。

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尾久〜赤羽間。161系から来た車両だと思います。
同じようにスカートのタイフォン穴を見ると真円穴が2個開いています。161はこのタイプが多かったです。

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水上〜湯檜曽間。新製181系です。
タイフォン穴が小判タイプになってます。151と161から来た車両は比較的早い時期に消滅しており、後年はこのタイプの181系の活躍が多く見られました。

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水上〜湯檜曽間。グリーン車2両に食堂車を連結した堂々たる編成。

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土樽〜越後中里間。ときと言えば雪との戦いでした。冬の上越線の定時運転はさぞ大変だったでしょう。
この少し前まで猛吹雪で殆んど線路が見えない状況でしたが、一瞬の晴れ間に雪煙をあげてときがやって来た写真です。

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土樽〜越後中里間。遠景を狙った雪中撮影は吹雪だと車両が霞んでしまうので、時の運的な場合が多かったですね。

ときはやっぱり雪が似合ってます。
後に緑バックのイラストマークになって魅力半減。ボンネットタイプの大型マークにはイラストは少し派手すぎますよ。
さらに、食堂車は外れ、車高の合わないボコボコ編成になり消えて行きました。
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2007/12/22  16:17

投稿者:line
つばささん。
山陽から転属が入ってきた頃は帯なし、連結器カバーが赤1色なんて写真もありました。また、ヘッドライトの受け縁が銀とか赤、運転席ワイパーが3本付いているなど結構バリェーションに富んでいることが判明しました。車番でも控えておけばもっと資料的に明確化できたのに、なんて思ってます。

2007/12/22  16:08

投稿者:line
シービーさん。
新幹線開業前の上越線の賑わいは凄かったですね。
ときは勿論、はくたか、いなほ、急行では佐渡、よねやま、スキーシーズンには○○銀嶺やら○○スキーなどの臨時が次々やってきました。
今では単線でもまかり通る閑散路線になってしまった感がありますね。

2007/12/22  15:42

投稿者:line
Swallow Angelさん。
本物の朱鷺(鳥)の方が一時危なかったですね。
鉄博の181とき共々生き残ったのも何かの縁だったかも。
首都圏と新潟を結ぶ特急と言えば、ときが不動の名称になり続けてほしいものです。

2007/12/22  7:03

投稿者:キハ181つばさ
構図が良くて惚れ惚れしてしまいます。
文字マーク時代は駅撮りしか出来ない年齢だったので羨ましいです。私が上越線に出掛けた頃は既に3往復しか残っていない晩年で、しかも、イラストマーク+凸凹+10両編成なんて寂しい限りの編成でした。
連結器カバーの塗装が直線のものとチョコッと尖っているのと2種類ありますね。

2007/12/21  23:19

投稿者:シービー
「とき」といえば181系と自分もきます。
晩年は老朽化に伴う、故障で運休も多かったですね。
それでも一生懸命、181の「とき」は頑張ってましたが、183系に徐々に置き換えられていきました。
ボンネットの「とき」が一番「とき」らしかったですね。

http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14

2007/12/21  21:46

投稿者:Swallow Angel
「とき」「あさま」とも今では新幹線に名前を残してますが、私もやっぱりときといえばこれですね。上野駅の高いホームの象徴的な特急だと思います。
新潟といえば特別天然記念物の「トキ」、それを冠したネーミングですが、知らずに「時」と読む人でもいるんでしょうか、ヘッドマークに小さく「朱鷺」と書いてるちょっと心配性の国鉄さんを垣間見た気がしました。

http://do-raku-oyaji.cocolog-nifty.com/blog/

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