2010/3/31

475系 急行「日南」  国鉄急行
久しぶりの国鉄急行シリーズ。昭和52年頃に撮影した列車です。
交直流タイプの電車急行形は本州、九州に在籍しており、一般的に50Hzは451系列、60Hzは471系列に大別されてました。その後、直流急行型同様に出力アップ、抑速ブレーキと165系に相当する455系へと発展していきます。そして最終形として3電源を走れる457系が登場し、交直流急行形電車の最盛期を迎える事となります。
本州内では交流50Hzから交流60Hzに直接切り替わる区間は存在してなかったので、東北系統と西日本系統の区分が簡単に出来た事も理由ではないでしょうか。デビュー当初は60Hz車の車体裾部にクリームの帯が入っていて外観上でも簡単に見分ける事ができましたが、後にこの帯も省略され同塗装となり見分けも難しくなってしまいましたね。
当時、日本海縦貫線を走る急行「しらゆき」が交流60Hz→直流→交流50Hzの全線電化区間を走ってましたが、最後まで気動車のままだったと言うのも勿体無い話です。そんなんで、結局この457系が3線区間を又にかけて走る場面は登場して無かったと思われます。

さて本題の急行「日南」は名前から分かる通り九州内を走る列車で、撮影当時は門司港から宮崎までの運転となっていました。4往復が設定されていて、夜行設定の4号のみが宮崎から西鹿児島まで普通列車となり日豊線全線を走り通す存在でした。残りの3往復が電車運転ですが、3往復とも運転区間が違っていて1号は別府から、2号は門司港から、3号は小倉からとなっています。
この時代、急行のヘッドマークを掲げてたのは一部の地域に限定されてたので、この「日南」も良く撮ってたなと言う感じでしたね。
写真は全て下り505M日南2号を日向市駅付近で撮ったやつです。

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サイドから編成が分かる写真なども後々の記録としては良いですな。

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九州車と言えど、デフロスタやスノウプロウ付きなのは北陸系統と転属の際に手間を省く為でしょうね。

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7両でサロ、サハシも組み込んでますから、急行編成としては納得できますよ。ただ、サハシの営業はとうに終わってましたけど。

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お椀型のタイフォンカバーも関東では見られない設備でしたねぇー。列車番号札も使われて無かったようですな。

カラーで撮ってるのが全く無いと言うお粗末な結果でした。
その後「日南」として最後まで残ったのが夜行の客車となりましたが、その筋は今でも「ドリームにちりん」として残っている事は喜ばしいですな。先日の「能登」廃止で全座席編成の定期列車として唯一の存在になってしまったかな。

いつもポチ有難うございます。
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タグ: 急行 国鉄 昭和

2010/4/5  17:35

投稿者:line
シービーさん。
60Hzの帯入りを撮ったのは、北陸線で昭和46年頃が最後でしたね。まだED70が居た頃かな。
やはり、帯1本入れるだけでも合理化したかった当時の国鉄の懐事情もあったんでしょうね。
当時、常磐線急行の大半は我孫子に停車しましたから、そこで下車した事も多かったです。今や我孫子に止まる優等列車も無くなり、寂しい限りですね。

2010/4/4  20:54

投稿者:シービー
この頃だと、60㌟表示の車体下部へのクリームラインは廃止されてますね。
やはりこの姿を見ると、田舎に行く時に乗っていた「ときわ」をイメージします。ほとんど撮ってなかったなぁ〜。

http://blogs.yahoo.co.jp/mrcbcross14

2010/4/1  18:44

投稿者:line
つばささん。
この頃は北陸線で運用されてるのと共通仕様だったようです。50年のダイヤ改正前は「つくし」などが大阪まで運転されてたので、北陸線系統とも繋がってたんですね。その後サハシがサハに差し変わった頃の写真を見るとタイフォンカバーも取れてるのも見かけました。
私も東北急行にサハシが入ってる頃の写真撮ってますが、都心部ばかりなのでサイドから編成が写ってるのは無かったです。

2010/3/31  23:43

投稿者:キハ181つばさ
九州でおわん型のタイフォンというのは違和感ありますね。まるで必要がありません。むしろ、東北本線でも開放型の車両が多かったのも矛盾を感じます。
しかし、サハシが入っている編成は良いですね。私も中学生の時にわざわざ良く乗ったのですが、結局、編成写真は1枚だけ、しかもピンボケだけしか残っていませんでした。

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