2013/2/7

特急「いなほ」の軌跡  国鉄特急
久しぶりの国鉄特急シリーズ。と言っても今だ現役で走ってるのでJR特急でもありますね。
この「いなほ」、先日、新潟から秋田への移動で利用し我が人生で2回目の乗車となり、前に乗ったのが昭和49年12月ですから何と38年ぶりとなる訳です。車両の方も38年経った今も同じ485系を使ってるのも例を見ない感じ。
実際、定期列車で昭和49年から同じ車両使って愛称名も変わらず残ってるのって、当時、新潟〜大阪間の運転だった「北越」くらいしか無いんじゃなかろうか。
まあ、列車自体「北越」は北陸新幹線開業の折には無くなってしまいそうですが、「いなほ」については当分は安泰でしょうね。ただ、さすがに車両だけは置き換えの噂は絶えませんから、今のうちに撮っておきたい列車ですな。

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昭和47年、上野駅。
羽越線電化直前のギリギリで撮れたキハ81系「いなほ」。上野〜秋田間の1往復設定で、間合い使用の「ひたち」も同系が担ってました。
電車特急と違って、ヘッドマーク交換は上野停車中に行われてなかったような・・・

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昭和49年12月、青森駅。
この写真の「いなほ2号」に乗って上野へと向ったのが38年前。青函航路との接続が無くて連絡船待合室で3時間半も時間潰してたなー。まあ、鉄じゃなければあえて上野まで乗る人は居ないわな。しかし、所要10時間ちょっとの長旅にも良く耐えたもんだ。
隣のホームには8:15同時発車の「はつかり2号」が見えますが、これだとこの「いなほ2号」より1時間半近く早く上野に到着できます。

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昭和51年、尾久〜赤羽間。
青森電車区受け持ちでしたから「はつかり」等と同じ編成でした。カマボコ型の連結器カバーが似合ってますね。
この頃、ボンネットの「いなほ」も見た事があるのですが、青森に基本番台の先頭車もあったんでしょうか。

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昭和52年、土樽〜越後中里。
冬は走行区間の大半が豪雪地帯でしたが、今のように遅れる事も少なかったですよ。やはり、今と違って線路上を走ってる本数が多かったからかな。

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昭和52年、尾久〜赤羽間。
非貫通の300番台が増えてきた頃。私ゃ貫通タイプの200番台の方が好みだったな。

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昭和55年、小砂川付近。
外観的には編成長を除けば今も見られる姿ですな。

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昭和56年、水上〜湯檜曽間。
4つ目の1500番台を先頭にした「いなほ」。この姿を今でも見られると言うのも有り難い存在ですね。

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そしてつい先日の鶴岡付近。
編成は短くなりましたが30年前の姿が見られた訳です。
連結器カバーをカマボコにしてくれれば完璧なのになぁー。

と、今掘り出して見ると「いなほ」も結構な枚数を撮ってた列車でした。これ以外にもまだありましたから、「とき」や「ひばり」などとは違って来れば間違いなくシャッターを切ってた列車のようです。
485系引退前にでも「リバイバルいなほ」として上野〜秋田間を走らせても良いのでは、なんて思ってます。
いつもポチ有難うございます。
1

2013/2/9  15:59

投稿者:line
シービーさん。
キハ81の「いなほ」はこれ1枚しか撮って無かったようです。それより481系のボンネット「いなほ」を見たのに撮ってないってのが残念で。
そのうち羽越線にも高速運転できる車両でも登場すれば、すぐスパーの冠が付きそうですね。

2013/2/8  18:20

投稿者:シービー
出た〜キハ81!
私、交通科学館での保存車両しか見た事がないんです。
「いなほ」の絵入りマークは白黒で撮ると、マークが見えにくくなるのが欠点でしょう。
「いなほ」は、スーパーなどの名前の付かない純然たる特急としての地位はありますね。

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