7月初めに南千住の
尾花で鰻を食べたのは、『土手の伊勢屋』が定休だったせいだ。あの時は天丼を食べに浅草から歩いたのだけれど、この日は白鬚橋に行く為に、日比谷線の三ノ輪駅に降り立った。
白鬚橋まで歩くわけにも行かずタクシーかバスになるのだけれど、その前に腹ごしらえ。
『土手の伊勢屋』は明治23年創業の天丼屋。
場所は三ノ輪駅から歩いて10分ぐらい。江戸時代からの遊郭で有名な吉原と呼ばれる一帯の入口付近。今やお札の顔にもなった樋口一葉の小説にも出てくる『見返り柳』が交差点の筋向いに立っています。住所は日本堤だけれど、やっぱり吉原のほうが通りが良い。
現在、天麩羅を揚げているのは3代目で、4代目は穴子の担当。穴子にはかなりこだわりを持っていて、活けの穴子を仕入れて水槽でそのまま生かしている。穴子は注文が入ってから、その都度捌いて揚げる。
天麩羅屋なのだけれど、私は昔から天丼屋だと思っている。
昔から天丼が有名だからと言う訳ではなく、3代目が『うちの天麩羅はご飯のおかず』と言うからだ。
3代目が子供の頃というから戦前の話だと思うのだが、店先には江戸前の魚介が並べてあって、近所の女将さんが『あれとこれを3枚づつ揚げとくれ』なんてやっていたらしい。今で言う総菜屋も兼ねていたみたい。

今の店は昭和初期に建てられた物なのですが、奇跡的に戦災を免れている文化財的存在。
下町のほとんどの建物は空襲で焼け落ちてしまったのだけれど、根津や千駄木などにも奇跡としか言い様のない建物が未だに残っている。
昔の建物なのだが、今と違って使っている木材の質も良いのか、味が出ているんですね。店の中も床ではなくて、土が踏みしめられた三和土になっている。
三和土(たたき)は昔の土間です。土に石灰や水を加えて叩いて硬くした土間。
店の中の建具は指物で釘など使っていない。今買うと一体いくらするんだろう。
壁には古い振り子時計がかかっていて時を刻んでいる。
昔からの店舗を手入れしながら丁寧に引き継いできた店は、それだけで味わいがあるものです。
天丼は(イ)1400円、(ロ)1900円、(ハ)2300円、他に海老天丼、穴子天丼が各2300円。
頼んだのは(ロ)。(ハ)にすると天麩羅が乗り切らなくて、丼の蓋を重石のように使って出てくるんです。晩飯も要らなくなっちゃう。普通の人は(イ)(ロ)で充分です。
乗ってくる天麩羅は穴子1本、海老、ししとう、イカの掻揚げ。
天麩羅自体は古き良き江戸前そのもの。
胡麻油を使い高温で一気に揚げるタイプで、胡麻油を使っていてもクドクて重いことはなくカラリと揚がっている。揚げたての天麩羅を、甘辛くて濃い目のタレに一気につけてご飯に盛り付ける。
見た目、かなり味が濃そうでしょう。確かに濃いんです。でも、不思議とクドクない。胡麻油で揚げた天麩羅も店によってはしつこくて食べきれないことがありますが、ここの天麩羅はそんなこともない。
海老はプリップリッです。甘辛いタレに使っているのに、海老の身の甘さはしっかり感じる。鮮度の違いなのか、揚げの技術なのか。
イカの掻揚げも肉厚で甘味のあるイカを2センチ四方ぐらいに切って掻揚げにしてある。
穴子はさすが。サクッと割ったときの身の白さ、口に入れたときのホックリとほぐれる舌触り。ほぐれた後に身が溶けたように、白身の旨味が広がります。
穴子自体の質がうんぬんと言うよりも、潔くサクッと割れる時点で私の好み。

この天丼になめこの味噌汁をつける。
汁物は豆腐、なめこ、吸い物と3種類あるのですが、私はなめこが好き。
三つ葉がたくさん入って香りが良い。天丼のタレが甘辛く濃い目なので、味噌汁が口をサッパリさせてくれる。
もちろん味噌が泥のようになっているなんてありえない。
この味噌汁に負けずに美味しいのがお新香。
醤油をちょびっと垂らすと箸休めに最適です。
甘辛いタレの絡まった天麩羅とそのタレの染みたご飯は、甘いものに飢えていた昔のご馳走だったのでしょうね。今のご時世では多少重さを感じる天丼となりますが、それでも子供の頃と比べると、時代に合わせて軽くなっているようにも思います。
カウンターで揚げたての天麩羅を出してもらいながら酒を飲むのならば、軽くサクッと揚げた天麩羅が好き。その時期の旬を天麩羅で楽しみながら盃を重ねるのはいいものです。
サクッとしているとは言え、胡麻油で揚げた天麩羅はなかなか酒の肴にはならない。天麩羅がどうこうと言うよりも、最近の日本酒が昔のような鈍重な部分を棄ててしまったこともあると思う。まして胡麻油で揚げてタレを通すとなると、やはり甘すぎると感じてしまうでしょう。
しかし『ご飯のおかず』と考えると、これがなんとも旨い天麩羅になる。ご飯が美味しく食べられるように、甘味とコクが加えられている。しかも重さがクドさになっていない。
だてに120年も繁盛しているわけじゃないと言うことでしょうか。
なめこの味噌汁つきで2100円と安くない昼飯ですが、その価値は充分にありますよ。
こんな贅沢もたまには良いもんです。

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