カレー続きだし、西葛西でもないけど、少しずつカレーの食べ歩きをしているのでその記録をさせて頂いております。
ちょっと驚きのカレーだったので長くなりそうですが、お付き合いを。
代々木上原のフレンチ『コム・シェ・ヴ』がランチで出していたカレーが評判になり、そこの古賀シェフのプロデュースで銀座に出来たカレー専門店。
場所は
銀座東武ホテル裏。
本家コム・シェ・ヴのコースはランチは2000円から、ディナーも3800円からある。グラスワインもあり、結構お得感のあるフレンチレストラン。低価格なのに妥協がないのは、シェフの古賀氏が
シェ・イノの井上旭氏の片腕だった事から充分推測できることだ。
ラ・ソース古賀がどんなカレーを出すのかは、回り道になるが、井上氏がどのようなシェフなのかを話した方が分かり易いかも知れない。
井上氏は21歳で渡仏したあと三ツ星レストラン『トロワグロ』でトロワグロ兄弟の料理に接することになる。
フランス料理は20世紀初頭に巨人
エスコフィエが様々な料理を体系化したことで一つの頂点に達する。ネガティブな表現だけれど、フランス料理と言われて年配の方がイメージする、クリームとバターをふんだんに使った、とにかく旨いが胃にもたれる料理。
その主流とも言えるフランス料理と当時のトロワグロ兄弟の流儀は違っていた。トロワグロの料理はソースが命。それまでのフランス料理もソースは生命線だが、とにかく素材とソースを同時に活かすところが異なる。19世紀末から20世紀にかけて偉大な足跡を残したエスコフィエの頃とは、料理素材の流通事情も保存方法も格段に進歩している為になしえた改革なのだと思う。
ここでソース作りのエッセンスに触れたことが井上氏の料理の方向性を決定付た、と井上氏自身が言っている。
帰国してから
銀座レカンの総料理長にもなった井上氏は、素材を活かし余分なものを取り除いた、研ぎ澄まされたソースによって『ソースの井上』『ソースの神様』と呼ばれるようになる。その後、京橋にシェ・イノをオープンし現在に至る。
その間トロワグロの料理を日本に紹介し、親分肌の人柄も手伝って多くの若い料理人から目標とされた。

古賀シェフはその井上氏の片腕として活躍したのち、2001年に代々木上原に店を開いて独立。洗練されたフレンチと言うと、見た目の美しい、ただ軽めのソースを主体にした焼きっぱなしのような料理を思い浮かべがちだが、彼は井上氏から受けた薫陶を受け継いでいる。アッサリと感じるがソースの凝縮感が素晴らしい。
でも私はコム・シェ・ヴのランチのカレーは食べたことがなかった。
古賀氏が目指す『澄んだ味』とは余分なもの、雑味を全て取り除いて砥済ました旨さ。一体どんなカレーが出てくるのか楽しみで伺った店はこんな入口だった。

店内はカウンター主体で清潔感が漂う。
伺った時間が早かったせいで店内は私たち2人だけ。銀座のOLさん達はまだ来ていませんでした。
ランチタイムに行くと前菜と飲み物がついて1250円。ただこれはプレーンなソースのみなので、トッピングを入れると1600円を越える値段になる。もちろんトッピングなしでも構わないが、普通の人は頼んじゃいますよね。
結果的に高くつきます。

前菜で出てくるラタトゥイユ。
これが旨いこと!
全てがトマト味になることなく、それぞれの野菜の美味しさがキチンと味わえる。カレー屋が出す前菜ないしは付け合せの域を越えている。
何をどうすればこんなに美味しくできるのか分からないけど、野菜の下処理や煮込むタイミングをシッカリと計算しないと絶対にこの味は出ないと確信できる。
このラタトゥイユを食べて、カウンターにだらりと座っていた私の背筋が伸びました。
これはシッカリと味わうべきと思ってしまったんです。
そのくらいインパクトがあった。
こんなに美味しいラタトゥイユは久しぶりに食べましたね。
これがプレーンなソースキュリ。
キュリとはcurryのフランス語読みだそうな。つまりカレーソースですね。
このソースが良い香りがするのです。スパイスの香りは脂溶性なので、インドカレーは大量の油を使ってスパイスの香りを引き出しながら煮込んでいく。そうして出来上がったカレーの表面には油の層ができるぐらいなのですが、その油に渾然一体となった香りの源が溶け込んでいる。
しかしこのソースキュリには油の層なんかありません。それなのになんとも馥郁としたスパイス香がする。
一口含んでみると、旨味とともに酸味がある。この酸味はトマトの酸味ではなく、ワインかビネガーの酸味です。柔らかい酸味。これが引き締め役になっているのだが、決して出すぎていない。
そして感じる複雑な旨味は牛スネと野菜を煮込んだと説明されるのだが、当然それだけではないと思う。まさにフォン。非常にクリアーな上質のフォンにスパイスが溶け込んでいる。


トッピングで頼んだ季節の野菜3種とチキンです。
それぞれの野菜が別に調理され、ソースキュリと合わさって出てくる。
チキンも柔らかくブイヨンで煮込んである。ジューシーな肉は美味しい。
そしてご飯と一緒に食べて驚いた。
私は本当にビックリした!
息を呑んで固まっちまった。
実は出てきた時にご飯を見てガックリしたんです。
ご飯が固まって団子状態になっている。あの古賀さんがこんなご飯を出しているのかと落胆した。
しかし、やはり古賀さんは古賀さんだったんです。私はご飯とソースを一緒に食べて、プロフェッショナルな料理人とはこういうものを作るのかと感嘆した。
この硬い団子ご飯をソースを混ぜて口に入れると、口の中でハラハラとほぐれていくのが分かるんです。初めからお茶漬け状態の飯が口に入るのとは全く違う。口に入れたときは塊だったのに、一口噛もうとするといっぺんにほぐれていく。ハラリとほぐれたご飯の一粒一粒が口の中で踊る。
このほぐれる感覚は初体験のもの。超がつくほどの一流店で寿司を食べた時に、ネタとシャリがほぐれながら渾然となるのと似ているが、少し違う。硬めに炊かれたご飯の粒を感じながら噛んでいくと、ソースの奥にある旨味が舌を覆っていく。
この時点で初めて、シェフがどんなカレーを作ろうとしているのかが分かったような気がした。
カレーを作ろうとしたのではなかった。
極上のフレンチソースでご飯を食べさせたかったのだ。
ソースでご飯を食べるにはどんなソースがいいか。
どのようにご飯を炊き上げたほうがソースと合うか。
最高に旨味を感じるようにするにはどうすればいいか。
そして出来上がったソースは極上のフォンをベースにしてスパイスを効かせ、余分なものを取り除けるだけ取り除いた引き算のソース。
米に旨味を絡ませながら、『ご飯として美味しく食べさせる』ことができるソース。
決して『ソースによって美味しく米が食べられる』と言った料理ではない。
旨味を足して、コクを加えて、と言った足し算のソースではなかった。
『澄んだ味』という言葉の意味がやっと飲み込めた。
ご飯と言う素材の為のソース。
素材とソースを同時に活かす。
トロワグロ兄弟から井上氏が受け継いできたフレンチの魂。
始めに『驚きのカレー』と言ったのは、驚くほど旨いカレーと言う意味ではない。もちろんカレーとして非常に美味しいし、調理技術にも敬服する。
それはそうなのだが、しかし本当に驚いたのは作ろうとする料理に対する視点だった。
料理をするときの発想力と言うか着眼点の違いによって、これほどまでに出来上がりの違う料理になるものなのか。
口の中でハラハラとほぐれていく米。その米の旨味を支えるべく作られたソース。そしてイメージ通りのものを仕上げられる技術。
これこそがプロフェッショナルの仕事です。
カレーは美味しかった。美味しかったけど、僕の探しているカレーではなかった。
それでもまた来て、このカレーに触れてみたい。
なんとも衝撃的な体験でした。

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PS:カレーを食べたいけど、どこか良い店ない?と言う時にいつも参考にさせて頂いているのが『
お気に入りのカレー屋さん300』というブログ。情報量が凄いです。
カレー好きの方は一度御覧下さい。

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