蕎麦が好きなもので、どうしてもうまい蕎麦屋探しから始めてしまいます。
いわゆる老舗の蕎麦屋の暖簾分けでもあれば楽しめるのでしょうが、西葛西にはないようです。
老舗といえばどこを思い浮かべるでしょうか?
永坂更科?藪?砂場?一茶庵?
このなかで砂場は結構見かけますよね。
真偽の程は不明ですが、砂場の発祥は天正12年創業といわれています。場所は大阪。秀吉が大阪城を築城している頃で、建設現場の近くに築城用の砂を大量に置いておく場所があり、その一帯は砂場と呼ばれていました。そのあたりに繁盛している蕎麦屋が2軒あり、その一方が東京の砂場のルーツであると言われています。
時代は徳川の世に移り、全国の大名が江戸に上屋敷を構え始めます。砂場は大名屋敷の近くに店を構え、大名屋敷や旗本家に出前をしながら大店として一世を風靡します。
大名屋敷の近くに一介の蕎麦屋風情が店を構えることが出来るはずもなく、バックに大名がついていたことは容易に想像できます。
経緯は不明ですが、江戸時代に有名な砂場は既に2軒あり、一つは現在の巴町砂場。言い伝えによれば当代で15代目。
もう一方は、現在は南千住で14代目が店を守っています。
有名な室町砂場と赤坂砂場は、実は同じ経営で、赤坂は室町の支店です。そして室町は、今は南千住砂場となった本家からの暖簾分けです。本家よりも暖簾分けの方が名声を得てしまっていますね。
これら老舗として有名な、南千住、室町、赤坂、虎ノ門、そして巴町の砂場とはべつに、大きな勢力を持つ砂場の系列があります。
神田多町を発祥とする砂場で、働く職人達を次々と独立させ、暖簾分けしていった。多町の砂場は大正時代の創業。故郷の若い衆を呼び寄せては、手に職を付けさせ独立の後押しをしたという世話好きの人物だったそうです。もちろん蕎麦自体は当時『駄蕎麦』と呼ばれた、普通の町の蕎麦屋さんの蕎麦。『趣味蕎麦』と言われた蕎麦とは違います。
この多町系砂場がどんどん東京に増えていきます。一方、江戸時代に遡る老舗砂場系は暖簾会を結成し伝統を守っていくなかで、『砂場』を商標登録します。商標登録されてしまうと困るのは多町系砂場で、このままでは商売が出来なくなる。
この事態に、老舗系は『商標登録は権益を守るためではなく、既存店との共存も大切』といい、多町系も『暖簾を守る人達と一緒になるのは我々にとっても良い事』と考え、多町系砂場は一挙に暖簾会に所属することになる。
こうして名店の誉れ高い『砂場』と同じ暖簾が、いろんな町にあり、しかもいざこざも起きていないという現状になっているわけです。
『おっ、こんなところに砂場がある』と入ってみると、普通の町のお蕎麦屋さんだった。
同じ砂場でもこうも違うか、なんて思ってはいけません。もともと系列が違うのですから。
へぇ〜、そうなんだ。と、思って頂けた方はランキングへも投票してやってください。

3