日曜日が最後の営業だったひら野。
昼に伺いました。
こう言うのも失礼なのだが、昼に伺ってはじめて満席なのを見た。
カウンターまで人が座っていた。
お子さん連れの方も一組だけじゃなかった。
初めてと思しき方も来ていた。
客が多かったのは事実だが、もともとそれほど大きな店ではない。
それでも一度に来たものだから、やや手間取っている様子だった。
店の流れや蕎麦に、普段と違うところがあった。
いつも来るとおかわりをするのだが、最初の蕎麦よりも後の方が良かった。
初めて来た人には、出来の良い蕎麦が回っていてほしいなぁ。
座って新聞など読みながら蕎麦を待っていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返って見ると知った顔が。
随分前にこの辺で美味しい蕎麦屋はどこにあると聞かれたときに、ひら野を教えた。たまたま前日もバーで同席する機会があったので閉店すると伝えた。
何とか夜には伺いたいと言っていたのだが、昼に来ることが出来たようだ。
前日の夜は蕎麦好きの友人も飲みにやってきた。
ここでまたひら野の話。おもいっきり驚いていた。
ある寿司屋の大将と蕎麦の話をしていたら、『この辺じゃひら野さんでしょ』と意見が一致してたのに残念だと言っていた。
話が出ると皆驚き、残念だと言う。
ひら野の蕎麦が好きな人は少なからずいたのだ。
それでも普段から客が来てくれないと、店としてはつらい。
どんなに美味しい蕎麦を出そうが、名前が知れて客が来ないことには続けるのは大変だ。
知り合いと思われる方と女将さんの話が漏れ聞こえてきた。
『美味しかったのにと言ってくれるのは嬉しいんだけど、夜なんかさっぱりでねぇ。なかなか難しいわよ。』
確かに人の往来がある場所ではないので、夜を満席にするのは大変だったでしょう。
何をどうすれば、なんてことは言いません。言えません。
私一人ぐらいの客じゃ何とも頼りないし、頻繁に伺う事も出来なかったけれど、応援していましたよ。残念ではあるけれど、もうひら野の蕎麦は食べられない。
でも、いつかどこかで再会できることを期待している。

蔵王地鴨を使った鴨せいろ。
甘みとコクのあるツユではあるが、あっさりと仕上げてある。
細切りの蕎麦にはこのくらいでも良い。
蕎麦の風味が死ぬことはないから。
厚めに切られた鴨ロースが2枚入っている。透けるような薄切りが何枚も入っているよりも厚切りが入っている方が好きだ。
でも鴨もネギも焼き目がついていない。私は焼き目があって香ばしいほうが好き。

冷たい化野。
油揚げも天かすもはいっている。狐と狸の化かし合い。
京都の化野(あだしの)は平安時代は風葬の地であった。魑魅魍魎の跋扈する場所でもある。
この名前をつけていると言うことは関西のご出身かな。
冷がけのツユはさっぱりとしていて好きだ。蕎麦の締り具合も心地よい。決してヘタることがない。
キュウリはなくても良いと思う。硬い食感が違和感を覚える。添えるならもっと細い方がいい。

天せいろのてんぷら。
日によって違いがあるのは、揚げ手が変わるせいか。
店主と女将、どちらが本来の揚げ手なのだろう。
ひら野の天せいろは天ツユも蕎麦ツユもついてくる。蕎麦ツユだけで食べさせる店もあるが、どちらが良いとは言えない。蕎麦ツユの性格による。
この日のてんぷらは美味しかった。
でも、いまだに初めて伺ったときのてんぷらが最高だったと思う。あの海老の火の通り具合は忘れられない。
美味しかったなぁ。

ひら野の冷たい種物はみんなこのスタイル。
冷たい種物はツユが少ないので、深い丼に盛られると食べづらい。平皿のほうがいい。
冷がけのツユと納豆の組合せが好き。あっさりしているツユなので丁度良い。もともと納豆好きなので、うどんでも蕎麦でも納豆をかけるだけで大丈夫。
裏を返せば海苔や削り節はなくてもいい。海苔はないと困るかもしれないが、削り節は口の中がモソモソするから好きじゃない。
これはこの店に限ったことじゃなく、完全に私の好み。どこの店でも削り節はいらないと思ってしまう。
これまで載せてなかったものを載せてみました。
ひら野の蕎麦は好きだけれど、当然ながら好みに合わないところもある。
でもそれは店の個性だったり、作り手の想いだったりすることもある。
全ての点で文句がないなんて言う事は有り得ない。
ひっくるめて、また食べたくなるかどうか。
これだけだ。
ひら野の蕎麦はまた食べたくなる蕎麦だった。

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