29歳で亡くなった井口蕉花と同様、わずか31歳の若さで夭折した詩人野々部逸二(ののべいつじ)について、再び中嶋康博氏の「四季・コギト・詩集ホームぺージ」−四季派の外縁を散歩する−「名古屋の詩人達 その1」 にもとづいてまとめてみよう。
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http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/essey/shiki03.htm
野々部逸二は、明治33年(1900)中島郡稲沢町(現稲沢市)の農家に生れた。
明治44年(1911)、稲沢尋常小学校4年修了後、名古屋市西区替池町の円頓寺に入り名を“寶真”と改め、那古野尋常小学校に転校した。同校卒業後、第一高等小学校に入学し、卒業した。
大正2年(1913)長久寺町にあった私立名古屋中学校に入り、円頓寺より通学した。しかし、大正4年(1915)円頓寺から稲沢町の実家に戻り、以後汽車で名古屋まで通学した。大正6年(1917)同級の津川某(牧師の子息)と共に謄写版の文芸誌を刊行し、短歌や詩を載せた。大正7年には(1918)平井潮湖、田中正一、津川らと共に詩誌「ひとみ」を創刊し、「幽水」のペンネームで短歌・詩を発表した。殊にその恋愛を歌った短歌は当時の歌壇において注目されたという。
この頃、名古屋を中心に中部地方の詩作への動向は著しかった。井口蕉花・春山行夫らの「赤い花」、中山伸・伴野憲・柳亮らの「曼珠沙華」(のちの「独立詩文学」)、高木斐瑳雄・稲川勝ニ郎らの「角笛」、斎藤光二郎・岡山東の「夜」、山中散生の「ひつじ」、堀場桂二・奈加敬三・南晃の「赤光」等の詩の雑誌が創刊され名古屋詩壇揺籃の時代であつた。
大正11年(1922)名古屋中学を卒業後、直ちに「名古屋通信社」に入り、記者生活に入る。同時に井口蕉花・春山行夫・高木斐瑳雄らの「青騎士」に加わり、まもなく幽水のペンネームをやめて、本名の逸二に改め、もっぱら詩作に専念した。「青騎士」のメンバーには、前掲の詩誌による多くの詩人の外に、勝承夫・佐藤一英・大山広光・大野勇次・安井龍・梶浦正之・落合茂・鈴木惣之助らの顔振れがあつた。
(*「名古屋通信社」については、この社名での存在を確認できなかった。)
大正12年(1923)「名古屋詩人連盟」の成立と同時に委員に推された。 大正13年(1924)「名古屋詩人連盟」は、野口米次郎・金子光晴を講師として招き、「名古屋商品陳列館」において講演会を開いた。また機関紙「先鋒」を刊行し、野々部は地方詩運動を推進する原動力となった。中山伸・高木斐瑳雄・斎藤光二郎・佐野英一郎とともに「風と家と岬」を刊行する(のちに「清火天」と改題)。この年、井口蕉花が享年29歳で夭折する。
大正14年(1925)伴野憲・中山伸・高木斐瑳雄・鵜飼選吉、廣瀬操吉と共に詩誌「新生」の創刊に加はり、その編集に携はった。また大正15年(1926)中部地区の詩人組織「東海詩人協会」を設立。「東海詩集」第一輯の編輯委員に選ばれ、第三輯まで編集に携わった。この頃、下宿先を大津町4丁目から大坂町さらに武平町4丁目へ移している。また佐藤惣之助・正富汪洋・福士幸次郎・佐藤清・白鳥省吾・加藤介春・中西悟堂・井上康文・草野心平の諸氏との親交も数年来のことであつた。
昭和3年(1928)頃より体調を崩すことが多くなり、晩秋には社を休み、知多郡大野海岸に転地し療養に努めた。昭和4年(1929)春、意を決して、「名古屋通信社」を退社し、三重県富田浜の海浜療養所に入院した。8月、小康を得て稲沢の実家に帰り、小康を保ったが症状が急変し11月30日に永眠する。享年31歳。大和村刈安賀の蓮照寺に葬られた。諡号は「大法院日證信士」。没後、伴野憲・中山伸・高木斐瑳雄により昭和6年(1931)遺稿詩集『夜の落葉』が刊行された。
「路上散見」
紙片が吹かれてゆく
初冬の巷をさまよふてゆく
紙片よ
私は
よるべない漂泊者の魂をお前の姿に読む
私の心が吹かれてゆく
初冬の巷をさまよふてゆく
何処へ
なにものをもとめて
お前はそんなにも慌しく過ぎてゆくか
私は
ひと片の紙片にも似た姿をお前のうちに見る
「草原の風に吹かれて」
それは秋も更けてゆつた九月の草原
虫の声が
その青黝(あおぐろ)ずんだ暗い空間に、いつぱいに満ちて流れてゐる。
こころの耳をすませば遠い夢のやうに流るる快い階調(メロヂイ)!
私は愉しい回想を胸に抱き
雨のやうな夜露に濡れてこの草原を辿るのである。
草原のむかうには
市街の灯火がちらばつてゐる、
弧をえがいて放射する幾千とない光の影が
声のないいきもののやうに
夜の都市の上空にもやもやと蠢めいてゐるのを見る、
遠い、その空の不思議に明るい陰影!
私はこころをひかれる
大きく息づいてゐるやうな
あの遠い空の不思議な明るみに。
私はあの市街から
そして瓦斯のまたたくプラタヌスの影の逢曳から
いましがた迯れてきたばかりだ、
私のうしろ遠くひろがる市街、不思議に明るいその上空
この暗い草原のむかうに
私の胸の憧憬がともしびのやうに散らばつてゐるのだ。
私は遠のいてゆく市街の灯火をみかへりみかへり
風涼しい九月の草原を辿つてかへるのである。
遠いとほい彼方の空に瞳を投ぐれば
只一つ星が夜露のやうに光つてゐる、
消えも入りそうに幽かに光る星!
ああ あの下に
広茫たる海洋のうねりが、しずかにたたへてゐるのだらう、
こんやの私の胸のやうに・・・・・・。
ああ聞こえるではないか
遠い追憶を繰返すやうに
断続してひびいて来る
幽かな波の音が・・・・・・
私の胸によする遠いしずかな波の音だ。
涼しい風が吹き
虫の音がいつぱいに流れてゐる
それは秋も更けてゆつた九月の草原。
私はかすかに光る星をみ、
しづかに寄する浪の音を胸にきき
ふりかへつて遠い市街の灯火をば眺めやり
ひとり愉しくこの草原の風に吹かれて帰るのである。
『夜の落葉(遺稿詩集)』1931
【全文テキスト】は
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/no/nonobeitsuji-yorunoochiba.html#nempu

野々部逸二 (1900〜1929)画:中野安治郎

野々部逸二遺稿詩集『夜の落葉』 昭和6年12月10日 東文堂書店(名古屋)刊 \1.20 装幀:亀山巌 限定100部刊行


奧付と背表紙

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