漱石の小説『三四郎』の書き出し部分に名古屋の街並みが登場する。
「九時半に着くべき汽車が四十分ほど遅れたのだから、もう十時はまわっている。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口のようににぎやかだ。宿屋も目の前に二、三軒ある。ただ三四郎にはちとりっぱすぎるように思われた。そこで電気燈のついている三階作りの前をすまして通り越して、ぶらぶら歩いて行った。むろん不案内の土地だからどこへ出るかわからない。ただ暗い方へ行った。女はなんともいわずについて来る。すると比較的寂しい横町の角から二軒目に御宿という看板が見えた。これは三四郎にも女にも相応なきたない看板であった。三四郎はちょっと振り返って、一口女にどうですと相談したが、女は結構だというんで、思いきってずっとはいった。」
という名古屋の駅前の描写は、鈴木禎次が,漱石に教えた風景という。
青空文庫「三四郎」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/794_14946.html
鈴木禎次は,木造建築に替えて、石造りやれんが造りで名古屋の街を大変身させた建築家である。彼の作品は、広小路通り周辺だけでも十棟ほど建てられている。
○「いとう呉服店」(栄町の新店舗。中区栄3丁目、明治43年)
○「共同火災保険名古屋支店」(名古屋で最初の鉄筋コンクリート造りであるといわれている。のちの「同和火災保険名古屋支店」中区錦1丁目、大正元年)
○「北浜銀行名古屋支店」(通称「八層閣」現在の三井住友銀行名古屋支店の西隣りにあった。中区錦2丁目、大正5年)
○「松坂屋本店」(中区栄3丁目、大正14年)
○「名古屋銀行本店」(のちの「中央信託銀行名古屋支店」、現「三菱東京UFJ銀行貨幣資料館」中区錦2丁目、昭和元年)
○「伊藤銀行本店」(のちの「松坂屋御幸町ビル」中区丸の内2丁目、昭和5年)
○「名古屋公衆図書館」(のちの「旧市立栄図書館」中区栄4丁目、昭和13年)

大正2年頃の名古屋駅前

昭和8年頃の名古屋駅前笹島


左 「いとう呉服店」のちの「栄屋百貨店」
右 栄町交差点付近、左側屋上ドームの建物が「いとう呉服店」


左 「名古屋銀行本店」、現「三菱東京UFJ銀行貨幣資料館」
右 「いとう銀行本店」

「北浜銀行名古屋支店」(通称「八層閣」)地上7階、地下1階建ての高層建築。設計にあたっては、精巧な模型を作り、構造計算に余念がなかったという。当時、多くの観光客が訪れ、有料のエレベーターで最上階へ行き眺望を楽しんだという。7階建てなのに「八層閣」と呼ばれたのは、最上階に百春楼経営の西洋料理店「八層閣」があったからである。

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