武田五一の作品として名古屋に残されているのは、次の3点である。
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故春田鉄次郎邸 大正14年(1925)竣工。主税町3
春田鉄次郎は明治初年(1868)多治見に生まれ、陶磁器貿易商として成功した。明治26年(1893)には中国、明治36年(1903)にはアメリカに渡り販路を拡大し、太洋商工株式会社を設立した。この屋敷は、春田鉄次郎が武田五一に依頼して造った住宅と言われている(武田五一の設計ではないとする説もある)。手前に洋館、中庭をはさんだ奥に和館を配した構成。戦後、昭和22年(1947)から昭和26年(1951)まで米軍第五航空隊司令部により一時接収されていた。現在は、邸内の洋館部分は、フランス料理レストラン「デュポネ」として利用され、和館の方は一般公開されている。(毎週水・木・土曜日)
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春田文化集合住宅 昭和3年(1928)及び昭和7年(1932)の竣工。主税町3
共用の広場を中心にコの字形に建てられた2階建ての連戸建集合住宅。都市住宅の元祖とも言える。現在も入居者がいて生活しているため部外者の立入は禁止されている。
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旧藤山雷太邸(龍興寺)昭和区御器所町 昭和7年(1932)竣工。
当時の日本製糖(株)社長藤山雷太が、東京都港区白金台に自邸として建てた2棟の内の和風別館。昭和51年(1976)子息の藤山愛一郎が自民党総裁選出馬のための軍資金を得るために売却した。ホテル建設のために取り壊されるところを名古屋龍興寺の住職渡辺英信師が聞きつけ、購入し移築した。内部は総欅造り、吊り天井などもある豪華なもの。建物は南西部に観月台を張り出し、周囲に縁側を廻しているところなど、京都の醍醐寺三宝院書院を模しているといわれる。西には三層の楼閣があり、宝庫として設計されたため、1・2層は鉄筋コンクリート造で耐火構造となっている。細部に至るまで意匠が凝らしてあり、日本建築の技術の最高水準を示しているという。(県指定文化財)
旧藤山雷太邸の敷地は現在、都ホテル東京になっている。洋館のインテリアは、ホテルのバーに一部移設されている。


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