先日、話題にした三井銀行上前津支店(現三井住友銀行上前津支店)を取り上げる。
いろいろ情報を調べてみるとやはり内部の写真撮影は禁止されているようである。内部に一歩足を踏み入れると昭和初期の時代にタイムスリップしたのではないかと見間違う光景だ。何本ものコリント式の多角柱に支えられ、ドーム状の天井が贅沢に広がる空間構成が素晴らしい。
さすが、三井である。昭和4年(1929)に起工し、昭和恐慌の真っ只中で建築が進められ、昭和6年(1931)に竣工した。設計は、ニューヨーク・マンハッタンの「トロブリッジ&リビングストン建築事務所」が行い、施工は竹中工務店が請け負った。外部にはイオニア式半円柱が用いられ、重厚な壁面を構成している。東と南に出入り口を設け、その出入り口のある面を同じ形に仕上げている。いわば中央に折り目が入った線対称形である。
「トロブリッジ&リビングストン建築事務所」は、昭和4年(1929)に竣工した東京日本橋の三井銀行本店や横浜支店、川口支店も同系のデザインで設計している。いずれも鉄筋コンクリート造りという新しい構造方式を用い、細部の装飾を簡略化しながらも、外壁には大版の切石を貼り、要所には古典建築のモチーフを使うなどによって、風格を整えるというデザイン手法をとっている。
この建物が竣工した時代は、浜口雄幸内閣による金解禁政策が断行された時代である。昭和4年(1929)折しもニューヨーク株式市場の大暴落に端を発した恐慌は世界を駆けめぐり、日本もその余波をまともに受け、昭和恐慌と呼ばれる空前の大不況に巻き込まれた。超エリートである大学卒業者でさえ就職口がなく、「大学は出たけれど」という流行語が生まれた。
そんな中で三井や三菱という大財閥は、金輸出再禁止を見込んだ大量のドル買いを行った。はたして犬飼毅内閣の蔵相高橋是清は金輸出再禁止を実施し、為替相場は円の暴落を引き起こした。ドルを売却して円を買い戻した財閥は、労せずして莫大な差益を手にしたのである。国民が生きるか死ぬかの瀬戸際まで追いつめられているのに、それをあざ笑うようにひとり私財を蓄えたのである。
昭和7年(1932)血盟団事件という要人テロが起こる。その標的のひとりに三井の総帥であった三井合名理事長団琢磨がいたことは当然の成り行きであった。「昭和維新の歌」の中に『財閥富を誇れども、社稷を思う心なし』というフレーズがある。“社稷”(しゃしょく)とは、“民”と“国土”のことである。最近のライブドアや村上ファンド、さらにはメガバンクの経営方針も含めて、この“社稷”を思う精神が全く欠如しているように思えてならない。日銀総裁にして投資に狂っているのだからあきれるばかりである。愛国心が必要なのは、企業経営者や政治家なのではないかと思う。“民”と“国土”を犠牲にして、私利私欲に走っているのは誰だ!と叫びたい。
時代は、昭和6年(1931)に起きた満州事変から、翌年の五・一五事件で犬飼首相が暗殺され、政党内閣制度は崩壊する。挙国一致の名のもとにファシズムの嵐が吹き荒れ、二・二六事件を経て、昭和12年(1937)7月の盧構橋事件に端を発した日中戦争へと進んでいくのである。


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