光市母子殺害:死刑の可能性
「これからまた、どれだけの歳月が流れるのか」。山口県光市で99年に起きた母子殺害事件の上告審判決に対し、被告の元少年(25)に死刑を求め続けてきた遺族の本村洋さん(30)は「最高裁自ら判決を下してほしかった」と静かに切り出した。一方で、無期懲役判決の破棄で、被告が死刑になる可能性は高まった。「命を取られる恐怖と向き合って反省し、人の心を取り戻してほしい」。本村さんは語気を強めた。【安部拓輝】
午後3時。妻弥生さん(当時23歳)と夕夏ちゃん(同11カ月)の遺影を両手に抱えた本村さんは、うつむき加減に目をつむり、判決を聞いた。「原判決を破棄する」。閉廷後、そばに寄り添う遺族らと立ち上がって、裁判官に深く頭を下げた。
「最高裁で死刑判決を下してほしかった」。本村さんは会見で切り出した。「無期懲役にならなかったことに感謝はしている。しかし、ここまで7年かかった」と裁判が続くことに徒労感をにじませた。
結審後の4月中旬、現場のアパートを訪れた。7回目の命日に届いた花の鉢のそばにジュースを供え、手を合わせた。語りかける言葉は何も浮かばず、自分にそっと言い聞かせた。「どんな判決が出ても、僕は自分の人生を一生懸命生きるから」
「私がこの手で殺す」。1審判決後、無念さを吐き出した発言には、批判も相次いだ。インターネットでは「人殺し」と中傷の書き込みをされ、犯罪被害者の権利拡大を求めて運動する姿を、被告にまで揶揄(やゆ)された。
そんな被告が判決を前に、反省の心境を語っていると漏れ聞く。「自分の命を取られることを初めて実感したときに、自分の犯した罪の重さを知る。それこそ死刑という刑罰の意味だと思う」。会見で語気を強めた。
「被告は18歳以上。刑法でも死刑を認めている。何とか人間の心を取り戻して死刑を受けてほしい。悔い改めてもなお、命を落とさなければ償えない罪がある。その残酷さを知って、犯罪が起こらぬようにする方法を社会は考えなければならない」。2、3日後には、2人が眠る北九州の墓を訪れる。「区切りがついたよ」と語りかけるつもりだ。
毎日新聞 2006年6月20日 20時58分 (最終更新時間 6月20日 21時16分)
これでこの裁判の長い戦いの終焉が見えてきた・・・
刑法と少年法の狭間を狙ったこの事件、遺族が望む極刑での結審に大きく流れが
傾いてきた・・・
ワシも極刑は当然だと思ういくら日本の司法が判例主義だとしてもだ!
それは世の中は常に変化しているのだから、司法もその流れに柔軟に合わせる
必然があると思う。
何故?少年の凶行が後を断たないのか?
ワシもコトあるごとに、ブログ上で自論を展開してきた・・・
改めて今感じるのは「メディア」の影響だ!
昭和の時代は間違いなく「テレビ」
平成〜今日は「インターネット」
前者と後者の違いは何か?
それは
「制限」だ!
「テレビ」は無責任に大衆に対して悪影響と思われる情報は流さない・・・
だが「インターネット」はユーザーが得たい情報は、
それに
「悪意があろうがなかろうが」
圧倒的にユーザー側に判断が委ねられている・・・
果たして現代の子供達にネット情報の善悪の判断は出来るのか?
答えは明白「ノー」だ!
今すぐネットの情報規制は敷くべきだ!
特に未成年に対して!
少年法は善悪の判断がまだ出来ていない少年に対する救済措置だ!
今後少年の凶悪犯罪を未然に防ぐには、
誰がなんと言おうと
「少年に対しての情報規制」が
鍵を握っている!
とワシ個人は思う・・・。

0